廣田神社の参拝を終えて、西宮市甲山町にある真言宗の寺院、武庫山神呪寺(かんのうじ)に向かった。
神呪寺は、西宮を象徴する甲山(かぶとやま)の中腹にある寺院である。
甲山は、太古の火山活動で発生した溶岩が固まって出来た山で、長年の風雨により削れて、今の兜のような山容になった。
山麓一帯は、兵庫県立甲山森林公園になっている。

甲山森林公園駐車場を過ぎて進むと、神呪寺の駐車場がある。
駐車場に車をとめて、目の前の道を下ると、神呪寺の仁王門がある。文化元年(1803年)に建てられ、今では西宮市指定有形文化財となっている。



三間一戸八脚門という変わった形式の山門である。
網に覆われた仁王像を網の隙間から覗くと、こちらを睨みつけるようであった。
迫真の彫像である。

仁王門の格天井は、木目をそのまま装飾に利用した面白いものであった。

仁王門を潜ると、道路を越えて参道が続いている。寺の背後には、お椀を伏せたような甲山がある。
甲のような形をしているので、その名が付いたと言われている。

神呪寺は、真言宗の別格本山の一つで、御室派に属している。
天長五年(828年)に淳和天皇の后、真井御前(まないごぜん)がこの地で出家して如意尼と称し、弘法大師に帰依した。
そして大師の助けを得て神呪寺を開いたという。

甲山山中には、寛政十年(1798年)に作られた甲山八十八所と享和三年(1803年)に作られた神呪寺西国三十三所がある。
境内にもこれに属する石仏がある。


西国三十三所一番の石仏は、観音菩薩ではなく、一遍上人のような質朴な僧侶の像に見える。
境内にある観音菩薩の石仏は、三十三所の石仏を集めたものだろう。


参道石段の西側には、鎮守の弁財天が祀られている。

弁財天は水の神様である。実は神呪寺の弁財天は、廣田神社の祭神である天照坐皇大御神の荒御魂と同一であると言われている。
廣田神社の祭神は、又の名を撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)こと瀬織津姫(せおりつひめ)と言われている。
廣田神社は、かつて甲山の山麓に祀られていた。甲山は、廣田神社の神奈備山であった。
どうやら甲山には、水の神様がおられるようだ。

石段を登って本堂の前に至った。
神呪寺本堂は、天保十一年(1841年)に再建されたものである。


本堂には、本尊の木造如意輪観音坐像が安置されている。
大阪府河内長野市の観心寺、奈良県宇陀市の室生寺の如意輪観音像と並んで、日本三大如意輪観音の一つとされている。またの名を融通観音と呼ばれている。
この像は秘仏であるが、毎年5月18日の融通観音大祭に開扉される。



本尊木造如意輪観音坐像は、10世紀末から11世紀初頭のものと言われている。国指定重要文化財である。
伝説では、弘法大師空海が、甲山山中にあった桜の巨木から、如意尼の等身大の像を刻み出したものとされている。
像の製作推定年代は、弘法大師の時代より200年程後なので、あくまで伝説上の話であろう。

それでも、弘法大師空海が、如意尼の等身大の像を刻んだという伝説は興味深い。
如意尼の俗名である真井御前の真井は、真水を汲む場所の謂いである。
真井御前の名前にも、甲山に棲む水の神様に通ずるものを感じる。
太鼓の火山活動で出来た甲山の地下に、清冽な水が湛えられているのを想像した。