備前

幡多廃寺塔跡 備前国庁跡

昨年12月半ばに備前を訪れた。 今日は、古代備前の政治・信仰の中心地だったと思われる場所を紹介する。 まずは、岡山市中区赤田(あこだ)にある幡多廃寺塔跡を訪れた。 幡多廃寺塔跡 幡多廃寺塔跡のある辺りは、新しい家が軒を並べる新興住宅街である。そ…

護国山曹源寺 後編

曹源寺の裏山には、三重塔が聳えている。境内に入ると見えないが、遠く離れた所からなら、その存在を確認することが出来る。 裏山への登山道を暫く歩くと、三重塔が見えてくる。私が史跡巡りで訪れた、16番目の三重塔になる。 三重塔 三重塔の手前には、何故…

護国山曹源寺 中編

本堂前の石畳を東に進むと、僧侶達の生活空間である庫裏や方丈がある。 庫裏 私が曹源寺を訪れたのは、もうすぐ日暮れがやってくる時間帯だった。夕飯の支度中なのか、庫裏からは味噌汁の香りが漂って来た。 庫裏の前には、「浴室」と書いた木札が下がった建…

護国山曹源寺 前編

岡山市中区円山にある護国山曹源寺は、元禄十一年(1698年)に、岡山藩主池田綱政が、祖父信輝、父光政の菩提を弔うために建てた臨済宗妙心寺派の禅寺である。 寺院の裏手には、岡山藩第四代藩主綱政から第十二代章政までの歴代藩主やその近親者を葬った、国…

岡山市 大福寺 徳與寺

少林寺から南に歩き、岡山市御成町にある真言宗の寺院、聖満山法城院大福寺に行く。 大福寺 大福寺は、天平勝宝年中(749~757年)に報恩大師が開いた備前四十八ケ寺の一つで、当初は備前国和気郡伊部村にあったという。 寛永年中(1624~1644年)に、岡山藩…

岡山市 少林寺 法輪寺

世に言う赤穂事件と言えば、忠臣蔵で有名な元禄赤穂事件だが、赤穂藩の歴史上には、もう一つの赤穂事件がある。 正保二年(1645年)、初代姫路藩主だった池田輝政の六男で、赤穂藩主となっていた池田輝興が突如発狂して、正室や侍女を斬り殺してしまった。こ…

禅光寺安住院

操山は、尾根が東西に長く伸びた山だが、山裾に多数の寺院が建っている。 今日紹介するのは、そのうちの一つ、岡山市中区国富3丁目にある、瓶井(みかい)山禅光寺安住院である。 禅光寺は、天平勝宝年間(749~757年)に報恩大師が制定した備前四十八ケ寺…

明禅寺城跡

恩徳寺の裏手にある操山の尾根上にあるのが、明禅寺城跡である。 山の全貌は、北側の百間川の河川敷辺りから目にすることが出来る。 明禅寺城跡のある操山 明禅寺城跡に行こうと思えば、山の北側の墓地を抜けて登る道を行くか、恩徳寺の北側の畑を抜けたとこ…

沢田山恩徳寺 

操山公園里山センターから少し北に歩くと、沢田山恩徳寺がある。 地名で言えば、岡山市中区沢田になる。 ここは真言宗の寺院であり、報恩大師が定めた備前四十八ケ寺の一つである。 恩徳寺参道前の鳥居 鳥居の扁額 恩徳寺は、寺伝によると、天平勝宝二年(75…

操山古墳群 

百間川遺跡群のオブジェのある辺りから沢田橋を越えて百間川を渡り、南方に行くと、操山古墳群がある。 標高169メートルの操山周辺は、ハイキングコースが整備され、山中に古墳が点在している。操山古墳群と呼ばれている。 操山公園ハイキングコースの案内図…

浦間茶臼山古墳 百間川遺跡群

国道2号線と岡山バイパスの分岐点近くの岡山市東区浅川にあるのが、浦間茶臼山古墳である。 この古墳は、3世紀後半に築かれた前方後円墳である。3世紀半ばに築かれた奈良の箸墓古墳と同形で、大きさが丁度2分の1に縮小された古墳である。 岡山県下では…

笠井山薬師院 龍之口八幡宮

金山寺のある金山は、標高499メートルである。金山は、南側の笠井山と連なっている。 金山寺から南に細い山道を走ると、天台宗の寺院、笠井山薬師院がある。 薬師院は、天平勝宝元年(749年)に報恩大師が備前四十八ヶ寺の根本道場金山寺を開いた時に、境外…

岡山市 金山寺 後編

本堂跡から見上げると、山腹に岡山県指定重要文化財である三重塔が聳える。私が史跡巡りで訪れた13番目の三重塔である。 三重塔 三重塔を目指して石段を上る。途中にあるのが、開山の祖師達を祀る開山堂である。 開山堂 ここには、金山寺を開いた報恩大師と…

岡山市 金山寺 中編

天正三年(1575年)に建てられた金山寺の本堂は、国指定重要文化財であったが、平成24年12月24日に発生した火災により焼失した。 この時に、秘仏だった御本尊千手観音像と岡山県指定重要文化財だった木造阿弥陀如来像も焼失してしまった。 火災の状況 ありし…

岡山市 金山寺 前編

岡山市北区金山寺に、報恩大師が創建した備前四十八ケ寺の一つ、金山寺がある。 金山寺は、天平勝宝元年(749年)に報恩大師が創建したという伝承があり、往古は、備前四十八ケ寺の根本道場として栄えた。 寺院は、元々は金山の頂上の、現在妙見宮が建つ場所…

南方前池遺跡 牟佐大塚古墳

赤磐市山陽郷土資料館から南に行き、赤磐市南方という集落に行く。 ここには、前池という溜池がある。昭和30年に、前池の改修工事をした際に、池の底から縄文土器と共に、縄文時代晩期の食糧貯蔵穴が見つかった。 通常であれば腐ってしまうトチやドングリな…

赤磐市山陽郷土資料館

岡山県赤磐市は、平成17年3月に、赤磐郡山陽町、同赤坂町、同熊山町、同吉井町が対等合併して出来た自治体である。 旧山陽町は、市の南側に位置し、岡山市のベッドタウンとなっている。赤磐市役所も旧山陽町にあり、赤磐市の中心街の位置づけとなっている。…

両宮山古墳

備前国分寺跡のすぐ東隣にあるのが、国指定史跡両宮山古墳である。 両宮山古墳 岡山県下第3位の大きさの古墳で、備前国では最大規模の古墳だ。墳丘は全長約206メートルである。 両宮山古墳空撮写真 両宮山古墳の完成時の図 両宮山古墳は、元々は二重の濠を…

備前国分寺跡

岡山県赤磐市穂崎にある朱千駄古墳のすぐ北側に、仁王堂池という溜池がある。 備前国分寺跡から南方約300メートルに位置する池である。 この溜池のあたりが、奈良時代に聖武天皇によって建立された備前国分尼寺の跡とされている。 仁王堂池 備前国分尼寺の説…

玉井丸山古墳 小山古墳 朱千駄古墳

岡山市東区瀬戸町観音寺にある環太平洋大学の敷地内に存在するのが、玉井丸山古墳である。 玉井丸山古墳は、5世紀前半に築造された前方後円墳である。 墳丘上に、大学の施設群が建っているため、墳丘はほとんど原型を留めていない。 遠くから眺めれば、かろ…

如法寺無量壽院

大多羅寄宮跡から芥子山の山裾を巡り東に行くと、如法寺無量壽院がある。地名で言えば、岡山市東区広谷になる。真言宗の寺院である。 寺伝によれば、奈良時代の神亀二年(725年)に、大倫和尚によって創建されたと言われている。 無量壽院への参道 仁王門 こ…

大多羅寄宮跡

西大寺からしばし西に行く。JR赤穂線の大多羅駅の北側に芥子山(けしごやま)が聳えている。 この山の尾根上にあるのが、大多羅寄宮(おおだらよせみや)跡である。 寛文六年(1666年)、岡山藩主池田光政は、領内の神社整理を行い、小社小祠を71の寄宮に統…

金陵山西大寺 後編

金陵山西大寺の守護神として牛玉所殿(ごおうしょでん)に祀られてきたのが、牛玉所大権現である。 牛玉所殿には、それだけではなく、金毘羅大権現も合祀されている。 実は牛玉所大権現に合祀されている金毘羅大権現は、明治初年まで、讃岐の金刀比羅宮に祀…

金陵山西大寺 中編

西大寺の境内は広大で、がらんとしている。 その中で、一際大きい建物が、文久三年(1863年)に建立された本堂である。本堂は、岡山市指定重要文化財になっている。 幅五間の本堂は、岡山県下有数の巨大さで、軒が極めて高い。 本堂 本堂は、西大寺会陽(え…

金陵山西大寺 前編

岡山市東区西大寺中にある高野山真言宗別格本山金陵山西大寺は、いわゆる「裸祭り」の俗称で知られる奇祭・西大寺会陽で有名である。 私も会陽のイメージでしか西大寺を捉えていなかったが、訪れて見ると、神仏習合が今に息づく、なかなか力強さを感じさせる…

砥石城跡 乙子城跡 神崎川分水樋門

岡山県瀬戸内市邑久町豊原にある砥石山上に、戦国乱世の梟雄宇喜多直家が出生した場所とされる砥石城跡がある。 砥石山 砥石山は、高さ100メートルほどの低山である。直家の祖父・宇喜多能家(よしいえ)の居城がここにあった。 「備前軍記」によれば、大永…

豊原北島神社 

餘慶寺と隣接するように建っているのが、豊原北島神社である。 社伝によると、舒明天皇六年(634年)に比咩大神を祀ったのが、この神社の創建であるそうだ。 祭神は、豊原北島神、応神天皇、神功皇后、比咩大神である。 当神社は、餘慶寺より古くから、この…

餘慶寺 後編

本堂の北側には、三重塔が聳える。私が史跡巡りで訪れた10番目の三重塔である。 三重塔 今の三重塔が建てられたのは、そう古くはない。旧塔跡に文化十二年(1815年)に再建されたものである。 西幸西村、草井幸右衛門らが私財を投げうって再建したそうだ。こ…

餘慶寺 前編

岡山県瀬戸内市邑久町北島にある上寺山餘慶寺は、天台宗の寺院である。 寺は、小高い丘の上にある。神仏習合の名残か、餘慶寺と接して豊原北島神社が建っている。 餘慶寺の案内板 餘慶寺は、天平勝宝元年(749年)に報恩大師が開創した。備前四十八寺の一寺…

虫明焼

虫明焼(むしあけやき)は、現在の岡山県瀬戸内市邑久町虫明で継続して制作されている焼き物である。 備前の焼き物と言えば、備前焼が有名である。備前焼は、釉薬を使用しない自然釉を利用した焼き物である。 虫明焼は、釉薬を使い、絵付けもする。京焼の流…