金陵山西大寺 中編

 西大寺の境内は広大で、がらんとしている。

 その中で、一際大きい建物が、文久三年(1863年)に建立された本堂である。本堂は、岡山市指定重要文化財になっている。

 幅五間の本堂は、岡山県下有数の巨大さで、軒が極めて高い。

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本堂

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 本堂は、西大寺会陽(えよう)で、裸体の男たちが宝木(しんぎ)を奪い合う舞台となる場所である。会陽見学者のための見学席まで設けられている。

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本堂と観客席

 本堂の外陣に登るための石段には、建立された文久三年の銘がある。

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本堂に上る石段

 日本の寺院の本堂に上る階段は通常は木製だが、西大寺では、会陽の際に大勢の男たちが登り降りするため、石段が据えられたのだろう。

 この石段を登ると、外陣の大床がある。

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外陣

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大床

 会陽の時には、この大床の上に約5000人の男たちが上る。建物の基礎をしっかりと作っていることだろう。

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大床の天井絵

 大床の格天井には、薬草の絵が描かれている。市川東壑の作である。

 本堂の御本尊は、秘仏千手観世音菩薩像である。さすがに、天平勝宝年間に藤原皆足姫が得た像ではないと思うが、拝観してみたいものだ。ご本尊の脇には広目天多聞天を祀り、裏脇には不動明王愛染明王が祀られている。

 秘仏の安置されている厨子の前には、御前立の千手観世音菩薩像が立っている。外陣からはアクリル板越しに、内陣の中の御前立の像を拝観することが出来る。

 内陣の上に、会陽の際に宝木二本が投下される御福窓がある。

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御福窓

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西大寺会陽の様子(西大寺のブログより)

 会陽の際は、この御福窓から御宝木が投下され、この写真のように、褌姿の男たちがそれを奪い合うわけだ。

 毎年2月の第三土曜日に行われる西大寺会陽は、国指定重要無形民俗文化財となっている。

 拝観料500円を払えば、本堂と牛玉所殿(ごおうしょでん)を拝観することが出来る。客殿から渡り廊下を通って、本堂に入って行ける。

 渡り廊下には、西大寺に関する展示物が置かれている。その中に御宝木もある。

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御宝木

 西大寺では、開山した時より、旧正月元日から14日間、一山の全僧侶が精進潔斎し、祭壇に牛玉を祀り、観世音菩薩の秘法を修して国家安泰、万民繁栄、五穀豊穣を願う修正会(しゅしょうえ)が行われてきた。

 牛玉とは、仏教世界で万物を生み出すとされる摩尼宝珠(まにほうじゅ)を意味する。

 西大寺では、修正会が満願を迎えると、丈夫な紙に右から左に「牛玉、西大寺、宝印」と書いた守護札を信徒の年長者や講頭に授与していた。この守護札を授かると、福が得られたことから、授与を希望する者が続出し、ついに奪い合うようになった。

 永正七年(1510年)、時の住職忠阿上人は、紙の牛玉(守護札)では破れてしまうので、これを宝木に巻き付け、信徒の頭上に投与した。これが西大寺会陽の起こりである。宝木を奪い合う人々は、身体の自由を得るために裸になるようになり、会陽は現在の姿になった。

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千手観世音菩薩版木

 渡り廊下には、江戸時代末期に、戸川平蔵が彫刻し奉納した、秘仏千手観世音菩薩像を模した摺仏の版木が展示してあった。これを見て益々この秘仏を拝観したくなった。

 渡り廊下を渡って、本堂に入ると、高野山奥の院の聖燈の分燈である皆足燈がある。

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皆足燈

 この奥の、本堂内陣は撮影不可である。

 内陣には、秘仏千手観世音菩薩像を収めた宮殿とそれを取り巻く御前立像や広目天多聞天不動明王愛染明王の各像を中心に、きらびやかな密教の祭壇が築かれている。

 階段を登れば、御福窓の前まで行くことが出来る。窓を開けて、大床を見下ろし、会陽に思いを馳せることが出来た。

 写真に写せないが、こんなに間近で内陣内部を隈なく見ることができる密教寺院は数少ないと思う。一見の価値ありである。

 さて、客殿の手前には、国指定重要文化財の朝鮮鐘を吊る鐘楼門がある。

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鐘楼門

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 鐘楼門は、高祖堂と同じく延宝年間(1673~1680年)ころの建築である。朝鮮鐘は、朝鮮半島で高麗時代の10世紀に鋳られたもので、日本に現存する朝鮮鐘の中では最大規模である。参拝者は、毎年正月三ヶ日に、開運招福の鐘として撞くことができる。

 客殿は、昭和35年に建てられた建物で、僧侶が普段の執務をする建物である。

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客殿

 客殿の南側には、大正14年に建てられた千手堂がある。

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千手堂

 千手堂には、平成15年に、中国の観音聖地補陀山からお迎えした千手観音坐像をお祀りしている。

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千手堂内部

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 千手堂の天井には、全国の114名の奉納者が描いた天井絵の世界が広がる。

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天井絵

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 密教の表現する仏世界は荘厳だが、即身成仏した者の目に映る、光り輝く大宇宙を象徴しているのだろう。

 私が訪れた時は、西大寺の境内には参拝客はほとんどいなくて、静かなものだったが、どことなく会陽の熱気が今も漂っているような気がした。