大多羅寄宮跡から芥子山の山裾を巡り東に行くと、如法寺無量壽院がある。地名で言えば、岡山市東区広谷になる。真言宗の寺院である。
寺伝によれば、奈良時代の神亀二年(725年)に、大倫和尚によって創建されたと言われている。
ここは備前四十八寺の一つで、西大寺会陽で投下される宝木(しんぎ)の原木を伐り出す寺である。無量壽院境内の裏山で採取して香を焚きしめた原木を、宝木投下の18日前に西大寺の使者が来て受け取る。
仁王門に安置されている仁王像が、意外と立派であった。
参道を上がり、庫裏の門を入る。
庫裏の脇に、岡山市指定重要文化財である南無仏太子立像を祀る太子堂がある。
南無仏太子立像は、聖徳太子の二歳像である。寄木造で彩色を施し、玉眼を嵌め込んである。カラーの御姿を拝観したいものだ。
鎌倉時代の作で、岡山県下の南無太子仏像立像の中でも逸品であるそうだ。
仏教が日本に広まる元を作った聖徳太子は、日本仏教の大恩人である。
庫裏や太子堂のある場所から、本堂までは、階段状の渡り廊下でつながっている。
本堂には、ご本尊薬師瑠璃光如来を祀る。
本堂は、明和五年(1768年)の建築だが、中世の部材を多く再利用しており、古い建物の風格を有している。
現在の本堂は、正面三間、側面四間だが、元の建物は五間四方あったようだ。寺院の規模も今より大きかったのだろう。
無量壽院は山上の静かな寺院であったが、ここから伐り出される宝木に、西大寺会陽で裸の男たちが熱狂して殺到することを想像すると、何だか不思議な気持ちになる。