虫明焼

 虫明焼(むしあけやき)は、現在の岡山県瀬戸内市邑久町虫明で継続して制作されている焼き物である。

 備前の焼き物と言えば、備前焼が有名である。備前焼は、釉薬を使用しない自然釉を利用した焼き物である。

 虫明焼は、釉薬を使い、絵付けもする。京焼の流れを汲んだ焼き物である。全国的にはまだ知名度が低いが、茶陶の世界では一目置かれる焼き物である。

 瀬戸内市邑久町尾張にある瀬戸内市中央公民館に、虫明焼展示室がある。

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瀬戸内市中央公民館

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虫明焼展示室

 虫明焼の歴史は新しい。邑久郡を所領としていた、岡山藩筆頭家老伊木家の第14代伊木忠澄は、茶道に通じ、三猿斎と号した。

 三猿斎は、以前から京焼に着目していたが、弘化四年(1847年)に釉薬陶法の新しい窯を間口に開いた。京都の名工初代清風与平を虫明に招き、京風の薄手の茶陶を焼かせた。

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清風与平作「菊絵菓子鉢」

 虫明焼の窯は、幕末の変動期に入り、文久二年(1862年)には取締役をしていた森角太郎に譲渡された。民窯のはじまりである。

 三猿斎は、明治に入ってから、各地から名工を虫明に呼び、虫明の陶工の指導に当らせた。明治元年には真葛宮川香山を虫明に呼んだ。3年間森角太郎、香洲親子が宮川香山の指導を受けた。

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山根四山作「枇杷果菓子器」

 上の写真の作者山根四山も、島根県から呼ばれた陶工である。

 こうして名工の指導を受けた森香洲が続々と作品を制作するようになる。香洲時代がやってくる。

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森香洲作「蔦絵茶碗」

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森香洲作「土筆絵茶碗」

 虫明焼は、京焼の流れを汲んだ上品さと、鄙びた大らかさが共存している。

 実は私の妻もお茶をしていて、虫明焼を習っていたのだが、この一見地味な虫明焼が、お茶席では非常に映えるという。

 森香洲のあと、明治13年に岡山片瀬町に天瀬陶器製作所が出来て、優れた陶工がそちらに移ってしまったので、虫明焼は一時衰退した。

 昭和7年に横山香宝、岡本英山が虫明に窯を作り、虫明焼を復興する。

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横山香宝作「落雁絵菓子器」

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岡本英山作「椿絵茶碗」

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岡本英山作「緑釉蓮華器」

 昭和9年に、二代目横山香宝の弟子・黒井一楽が独立して窯を作った。

 現代は、一楽の子である、黒井慶雲、千左兄弟が、虫明焼の伝統を継いでいる。

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黒井千左作「窯変稜線文花入」

 黒井千左氏は、現在も虫明に窯を持ち、製作を続けておられる。私の妻が、岡山市で開かれていた黒井千左氏の陶芸教室(現在は休止している)で習っていたことがあり、大変お世話になった。千左氏のお宅にお邪魔して、お会いしたこともあるが、我々のような年下の者にも礼節をもって接することを忘れない、紳士的な方である。

 千左氏は、岡山県指定重要無形文化財保持者であるが、今は御子息の博史氏も虫明焼の陶工となっている。

 こうして、伊木三猿斎が始めた虫明焼の歴史が続いて、今も新しい作品が生み出されているのは、喜ばしいことである。