操山公園里山センターから少し北に歩くと、沢田山恩徳寺がある。
地名で言えば、岡山市中区沢田になる。
ここは真言宗の寺院であり、報恩大師が定めた備前四十八ケ寺の一つである。
恩徳寺は、寺伝によると、天平勝宝二年(750年)に行基菩薩により開基されたという。
その後備前を訪れた報恩大師により、備前四十八ケ寺の一つに定められたのだろう。
この寺院は、神仏習合が進んだ寺院である。寺院の参道の手前には鳥居があり、扁額に「竪巖尊」と刻まれている。
この竪巖尊は、最上稲荷のことであるらしい。
鳥居を潜って進むと、黒ずんで古びた山門がある。
仁王門の内部には、迫力ある仁王像が立っている。
恩徳寺の現存する建物は、明治10年に再建されたものらしい。江戸時代には火災に悩まされたことだろう。
本堂には、行基菩薩が自ら刻んだとされる秘仏の薬師如来像が祀られている。
本堂の下には、石積の基壇が築かれている。こんな基壇の上に載る本堂は珍しい。そして、本堂の真後ろに竪巖尊を祀る竪巖(たていわ)宮がある。
本堂の外陣は吹き抜けになっていて、格天井には花卉や紋章などが描かれている。
更に、「本尊薬師如来」と書かれた扁額の上に、お狐さんに守られた竪巖尊の小祠が祀られている。
まるでご本尊薬師如来よりも竪巖尊の方が格上であるかのようだ。
内陣の内部は、真言宗寺院らしく、小さな多宝塔が建てられた修法壇があり、その奥に薬師如来像を祀っているであろう宮殿があった。
静かで絢爛たる世界だ。
本堂の左手前には、大師堂がある。弘法大師空海が祀られている。
恩徳寺の境内には、神社の摂社、末社のような小祠が多数ある。
様々な神様が祀られている。神々が仏法を守護しているかのようだ。
本堂の裏には、石垣が組まれ、その上に竪巖尊(最上稲荷)を祀る竪巖宮がある。
この社は、寺院の中で、本堂を見下ろす奥の院のような位置にある。これだけ大事に尊崇されているのには、何か由来があるのだろう。
竪巖宮は、元々寺院の北側の路傍に祀られていたが、明治になって本堂の真裏に移築したらしい。
神仏が習合する不思議な空間だ。
恩徳寺のある場所から少し歩くと、恩徳寺の奥寺になる大師堂がある。
ここにも弘法大師を祀っている。
真言宗は、日本の神々を密教の思想に取り入れ、両部神道という神道理論を作った。そこでは日本の神々も御仏たちが垂迹した存在となった。
岡山市北区にある最上稲荷も日蓮宗の寺院で、本尊久遠実成本師釈迦牟尼仏と稲荷大明神が習合している。
岡山県には、神仏習合の風習が残った寺院が多いように思われる。
信仰の歴史上の長さという点で見れば、明治以降の神道のあり方より、明治政府に禁止された神仏習合した寺院と神社の方が、日本の伝統と言えるかも知れない。