明徳寺の参拝を終えて、町並み保存地区に戻り、古い商家の建ち並ぶ通りを歩いた。
うだつ、なまこ壁、連子窓、虫籠窓などを備えた町家が並んでいる。





町中には、細い水路が通っている。
水が豊富でなければ、このような商業地は出来ないだろう。
町並み保存地区から一本東の筋に行くと、勝山武家屋敷館がある。
ここは、勝山藩の上級武士であった渡辺家の屋敷である。渡辺家は、家老に次ぐ家格であった。


門を潜ると、切妻造の広壮な武家屋敷がある。


建物の南側は庭に面し、部屋の南側に縁側が巡っている。

雨樋を見ると、竹を半分に割って作られたものである。

障子を開け放つと、建物の南側の庭から北側まで見通すことが出来る。
このような作りなら、夏になっても風が通って涼しいことだろう。日本家屋は、暑い夏を過ごしやすくするために工夫されている。

その代わり冬は寒かったことだろう。
玄関から上がると、畳を敷いた玄関の間がある。



玄関の間の北隣には、脇玄関がある。家人は普段ここから出入りしたことだろう。

玄関の間の南隣には、次の間がある。明治時代などには、書生にはこういう部屋が当てがわれた。
次の間の畳をよく見ると、炉が切ってある。茶室としても使われたのだろうか。

次の間の東隣は客間である。
家の中で、最も格式の高い部屋だ。


客間からは庭を眺めることが出来る。

館中央の座敷には、神棚が置かれ、槍が掛けられている。


最も広いこの部屋は、一家が普段多くの時間を過ごした部屋だろう。
建物南側には、東西に4つの部屋がある。東から奥座敷、座敷、客間、次の間である。奥座敷は、奥方が使っていた部屋だろうか。

建物の北西には土間があり、竈がある。



台所で作られた料理は、板の間で配膳され、板の間の奥にある座敷に運ばれたことだろう。
女中は女中部屋に待機して、台所に目を配ったことだろう。

板の間の隣にある座敷は、家族が食事をしたスペースだろう。



南側の庭には蔵が建っている。

蔵の1階には、鉄砲や槍、具足類といった武士の道具が展示されている。




武士は、武器や具足を大切にした。太平の世の中にも戦うことが本職であることを忘れずにいたのである。
2階には、裃や奥方の着物などが展示されている。


勝山武家屋敷館は、上級武士の家だけあって、広壮な屋敷である。

江戸時代末期まで当たり前のようにあった武家屋敷は、武士の凋落と共にほとんど姿を消した。
当時の日本の支配階級だった武士の凋落を思うと、時代の変化というものが、ある時突然やってくることが分かる。
最近のワーク&ライフバランス、LGBTや共同親権、外国人労働者を巡る制度を見ると、世の中は確実に個人の自由と多様性を重視する方向に動いている。
これは、先進国と言われる国に共通する流れである。この流れを押しとどめることは出来ないだろう。
私が育った昭和後半の日本も、今から思えば古くからのしがらみが残った遥か遠い昔のように思える。