金陵山西大寺 後編

 金陵山西大寺の守護神として牛玉所殿(ごおうしょでん)に祀られてきたのが、牛玉所大権現である。

 牛玉所殿には、それだけではなく、金毘羅大権現も合祀されている。

 実は牛玉所大権現に合祀されている金毘羅大権現は、明治初年まで、讃岐の金刀比羅宮に祀られていたものなのである。

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牛玉所殿

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 現在の牛玉所殿は、明治13年の築である。最も奥にある奥殿は明治2年の建築だ。邑久大工の田淵勝義が長時間かけて完成させた建物であるらしい。

 牛玉所殿の前には、薬師堂、絵馬堂などがある。薬師堂には、柘植を彫って作ったものと思われる、優しい薬師如来坐像が鎮座している。

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薬師堂

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薬師如来坐像

 さて、牛玉所殿の正面に近づくと、鬼瓦に「金」の字があり、ここが金毘羅大権現を祀る建物であることが分る。

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牛玉所殿の拝殿

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拝殿の鬼瓦

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波型の彫刻

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牛玉所大権現と金毘羅大権現の扁額

 なぜ西大寺の牛玉所殿に金毘羅大権現が祀られているのか。

 明治初頭に一世を風靡した廃仏毀釈の運動は、讃岐の金毘羅大権現にも及んだ。

 金毘羅大権現は、琴平山山岳信仰修験道から生み出された神仏習合の神である。

 権現は、神仏習合の思想では、仏が「権(かり)に神の姿になって現れた」ものである。
 今の讃岐の金刀比羅宮は、江戸時代までは神仏習合の寺院であり、境内にあった象頭山松尾寺金光院には、鎮守として金毘羅大権現が祀られていた。

 廃仏毀釈の流れに乗って、松尾寺金光院の住職は僧職を辞し、神職となって神社となった金刀比羅宮に奉仕することに決めた。松尾寺金光院は廃絶となった。

 このため多くの仏像が打ち壊しになり、金毘羅大権現本地仏として祀られていた薬師如来も行方不明となる。

 これを見かねた金光院の末寺である万福院の住職宥明師が、明治7年7月12日に、自らの故郷である津田村君津の角南助五郎宅へ、金毘羅大権現の脇仏だった不動明王毘沙門天の二尊を持ち帰った。
 その後、この話を聞いた岡山藩主池田章政公が、自らの祈願寺である下出石村の円務院に移したが、廃藩置県によって池田候は東京へ移ったため、西大寺住職の長田光阿上人が、明治15年3月5日に二尊を西大寺へ勧請した。

 以後、不動明王毘沙門天金毘羅大権現の御本体として、牛玉所殿に合祀されることになった。

 毎年1月1日から14日まで、不動明王像と毘沙門天像は御開帳され、参拝者に公開される。

 そうすると、金毘羅大権現の御本体は、実は讃岐の金刀比羅宮ではなく、西大寺にあると言えなくもない。

 さて、牛玉所殿内部も、本堂との共通券で拝観できる。

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牛玉所殿の内部

 牛玉所殿の御本尊である牛玉所大権現は、密教明王である五大明王のことを指している。牛玉所殿の本殿に、牛玉所大権現の前立の像が鎮座している。

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牛玉所大権現の前立

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 五大明王とは、不動明王(中央)・降三世明王(右手前)・軍荼利明王(左手前)・大威徳明王(左奥)・金剛夜叉明王(右奥)のことを指す。

 牛玉所大権現の本尊は、奥殿に鎮座しているが、秘仏であって公開していない。

 しかし、公開されている前立の像を拝観するだけでも、充分にパワーをもらうことが出来る。人々の煩悩を裁断するため、明王たちは憤怒の形相をしている。

 この前立の像の脇に、金毘羅大権現である不動明王毘沙門天が祀られている。

 前立の向かって左に、白玉で造られた文殊菩薩が祀られている。平成22年に牛玉所殿を修復した記念に、中国補陀山から迎えられたそうだ。 

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白玉文殊菩薩

 白玉は白翡翠と呼ばれ、知恵を高める、平穏の象徴とされる宝玉であるらしい。

 本殿の奥に建つ奥殿には、秘仏の牛玉所大権現の本体が祀られている。

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奥殿

 奥殿と本殿の間は、「善の綱」という五色の糸で結ばれている。

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善の綱

 善の綱を挟んで合掌すれば、牛玉所大権現と御縁を結ぶことができるという。私も合掌してみたが、牛玉所大権現の力の一部を授かったような気がした。

 奥殿の手前には、水かけ不動様が鎮座する。願い事を唱えながら、この像に柄杓を使って水をかけると、願いがかなうのだという。

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水かけ不動

 会陽橋を渡って西大寺の東側の公園に行くと、昭和49年に、日本青年会議所中国地区岡山ブロック結成10周年を記念して造られた犀の塑像がある。

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犀の塑像

 西大寺の起源に犀が深く関わっているのを思い起こさせてくれる。

 また、西大寺から参道を少し西に行くと、西大寺文化資料館がある。

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西大寺文化資料館

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 天満屋創業者の伊原木氏本邸の衣装蔵を利用した資料館である。西大寺会陽の江戸時代の宝木が展示されているそうだが、生憎私が訪れた日は休館日だった。

 西大寺文化資料館の西側の公園に建っていた、少年はだか祭りのブロンズ像がほほえましかった。

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少年はだか祭りの像

 人々は自分や家族に福が授かるように宝木を奪い合うわけだが、個人の小欲よりも真理に到達するための大欲につくことを教える真言密教の祭事で、人々が個人の福を求めるのは、ちょっと矛盾しているようである。

 だが密教胎蔵曼荼羅が象徴的に表現しているように、個人が自分の幸福のために仏の加護を求める姿も、真言密教では紛う方なく仏の世界の一部なのである。