岡山市 金山寺 後編

 本堂跡から見上げると、山腹に岡山県指定重要文化財である三重塔が聳える。私が史跡巡りで訪れた13番目の三重塔である。

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三重塔

 三重塔を目指して石段を上る。途中にあるのが、開山の祖師達を祀る開山堂である。

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開山堂

 ここには、金山寺を開いた報恩大師と二代目の心浄大師、そして金山寺密教を持ち込み、天台宗の寺院とした栄西禅師が祀られ、それぞれの坐像が置かれている。

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三人の祖師像

 中央が報恩大師、右側が心浄大師、左側が栄西禅師である。

 栄西は、鎌倉時代に興った日本における臨済宗の開祖だが、元は比叡山延暦寺で出家した天台宗の僧侶であった。

 鎌倉仏教の祖である法然親鸞日蓮栄西道元は、全て元々は天台宗の僧侶であった。

 弘法大師空海が開いた真言宗は、空海が唐の長安にて、師である恵果和尚からインド伝来の純粋密教を教わって、日本に伝えたものである。

 空海独自の密教解釈も付け加わっているかも知れないが、真言宗は始まった時からインド伝来の正統密教を受け継ぐものとして教義が完成しており、空海の入定後も弟子達はそれをそのまま引き継ぐだけであった。空海があまりに偉大なため、真言宗では開祖を超える僧侶が出てこない。

 一方の天台宗は、伝教大師最澄が開始した時はまだ教えは未完であり、最澄以後も優れた僧侶が出て来て、最澄の教えに新たな教えを付け加えて行った。天台宗の教義は、法華経を第一位に置きながら、そこに密教、念仏、禅を取り込んだもので、仏教の総合デパートのようなものである。

 比叡山延暦寺は、中世日本の仏教の総合大学であり、ここで学んだ優れた僧侶達が、次々と新しい仏教を開いていった。

 比叡山が日本仏教の母胎と呼ばれるのは、そのためである。

 さて、開山堂を過ぎて石段を登ると、三重塔が近づいてくる。

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三重塔

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 この三重塔は、天明八年(1788年)に建立されたものである。天明八年と言えば、東北諸藩を震撼させた天明の大飢饉が終焉した年である。この三重塔が建立されたのも、飢饉の死者の供養という意味もあったのではないか。

 ところで、三重塔前で祈った後、ふと扉に手をかけて見ると、扉が開くことに気づいた。

 開けてみると、智拳印を結んだ金剛界大日如来像が神々しくも鎮座している。感激する。

 室内を見ると、「ご自由にお上がり下さい」という説明書きがある。

 三重塔の内部に入るのはこれが初めてである。

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金剛界大日如来

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 恐らく天明八年に三重塔を建てた時に制作された御像だろう。

 大日如来は、真言密教では、始まりも終わりもない宇宙そのものとされており、釈迦如来阿弥陀如来などの如来や菩薩、明王たちだけでなく、日本の神々、我々人間、餓鬼、畜生、自然現象まで、全て大日如来の命の現れとされる。

 そして、大日如来は不断に活動しながら教えを垂れているとされている。空海は「宇宙はお経の詰まった箱である」と書いたが、我々が感じる波の音やアイスクリームの甘さだけでなく、自分の身体に癌が出来たとしても、それはお経であり大日如来の説法なのである。

 しかし、天台宗での大日如来の位置づけは、まだ私も勉強不足でよく分からない。 

 大日如来像の近くに、説明書きが置いてあった。

 三重塔本尊は一字金輪(いちじきんりん)です。仏が北極星と化現した姿で、真北から岡山市街地を睨みつけています。この三重塔と本堂と山門は岡山城と直線で結ばれており、当に金山寺は岡山の北方の守りと言えましょう。是非広く崇敬をお勧めする次第です。    合掌

 とある。

 どうやら三重塔本尊は、目の前の大日如来像ではないようだ。像の頭上に、蓮華に囲まれた円がある。これが一字金輪なのだろうか。

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一字金輪

 説明書きにあるように、確かに地図を見ると、岡山城のほぼ真北に金山寺が位置する。となると、この三重塔建立時に、岡山藩がなにがしか関与している可能性がある。

 驚くのは、大日如来像を囲む四本の柱と天井に描かれた鮮やかな仏画である。

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天井の仏画

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 悟りを開く、つまり人が自己の仏性に目覚めた時、今まで苦痛に満ちたように思えた現象世界が、この仏画のように天女が奏でる妙なる音楽に包まれた世界に見えてくるのだろうか。

 三重塔や五重塔が何のためにあるか考えて見ると、「ここに教えの象徴の仏像がありますよ」と周囲に知らせるための建物だと気づく。

 日本の寺院の木造の塔は、仏塔(ストゥーパ)なのだ。

 思えば仏教は、永遠の仏の世界に、有限な存在である人間が何とか触れようとする教えである。

 有限なものが無限なものに触れるには、何か鍵がいる。それが宗派によって六波羅蜜だったり、加持祈祷だったり、法華経だったり、参禅だったり、念仏称名だったりするのだろう。

 人間は、何とか永遠に触れようとする存在のようだ。