餘慶寺と隣接するように建っているのが、豊原北島神社である。
社伝によると、舒明天皇六年(634年)に比咩大神を祀ったのが、この神社の創建であるそうだ。
当神社は、餘慶寺より古くから、この山上に鎮座していたようだ。
神社境内から少し南側に巨大な磐座があり、太古は磐座信仰がなされていたようだ。
この神社には、源平合戦の時に源氏側で戦い、藤戸合戦で平行盛を破った佐々木盛綱が奉納したとされる、色々威大鎧(いろいろおどしおおよろい)を社宝として伝えている。
色々威大鎧は、完全に原型を留める大鎧として貴重な存在である。実際は、社伝と異なり、南北朝時代の作であると言われている。
松平定信が著した「集古十種」にも掲載されている名品である。国指定重要文化財であり、現在は岡山県立博物館に寄託されている。
境内に、「力石四拾貫」と刻まれた石が置かれていた。
この石は、安政四年(1858年)に、現在の岡山市西大寺門前に住んだ寺元多三郎氏が、自宅から高下駄を履いて、片手に傘をさしながら担ぎあげたものであるという。
多三郎は、「二つ石」の四股名で活躍した力士だったという。この石を片手で担ぎ上げたのだから、大層な力持ちである。
豊原北島神社の社殿は新しい。
この神社には、色々威大鎧が奉納されているが、鎧や刀が寺院に奉納されることはない。戦闘のための武具は、必ず神社に奉納される。神社は日本の武の伝統を支えている。
豊原北島神社の御祭神応神天皇は、武神・八幡大神として、源氏に崇拝された。
世界を空(くう)と見て、現世に執着を持たないことを説く仏教寺院と、人間の勇ましさや力強さを愛でる神社が共存しているのは面白い。
この神仏習合の姿こそが、或る時は決然と戦い、或る時は執着せずに流れに身を任す、潔い日本人の姿を象徴しているのではないかと思う。