百間川遺跡群のオブジェのある辺りから沢田橋を越えて百間川を渡り、南方に行くと、操山古墳群がある。
標高169メートルの操山周辺は、ハイキングコースが整備され、山中に古墳が点在している。操山古墳群と呼ばれている。
操山公園里山センターに車を駐車し、歩き始める。まず目指したのは、金蔵山古墳である。
金蔵山古墳は、全長が約165メートルの前方後円墳で、岡山県下第4位の大きさの古墳である。
4世紀末から5世紀初めに築かれたと推定される古墳である。前方部は2段、後円部は3段築盛で、各段に円筒埴輪が巡らされ、墳丘は葺石で覆われていたそうだ。
古墳は、今は鬱蒼とした山と一体化していて、墳丘の形を認識することができない。
後円部への登り道を上がり、円頂部に至ると、石室の上部に穴が開いているのが見えた。
頭を入れられるほどの大きさの穴ではないが、穴からカメラを差し入れれば、石室内部を写すことが出来る。
内部は、小さな平たい石が緻密に積み重ねて造られた、コンパクトな石室である。
こんな小さな石を積み重ねて造られた石室は初めて見た。なぜこの古墳にこのような石室が造られたのかは謎である。
金蔵山古墳からは、鉄鏃や刀子、釣針、櫛、銅鏡、玉類などの副葬品が見つかっている。
この古墳は、岡山県下第4位の大きさの前方後円墳である。築造年代は、第15代応神天皇の時代だが、当時の吉備地方を代表する首長が葬られていたことだろう。
金蔵山古墳からハイキングコースを北に歩いて行き、沢田大塚古墳に行く。6世紀後半に築造された古墳である。
沢田大塚古墳は、直径約16メートルの円墳である。表面を竹林に覆われているが、墳丘の形を確認することが出来る。
墳丘の土が崩れて、石室を覆う石が一部露出している。
沢田大塚古墳には、横穴式石室があり、内部に入ることが出来る。石室の全長は約11メートルである。
石室から内部に入ると、奥には弘法大師像を中心とする石仏3体が安置されていた。
奥の玄室は、長さ約4.8メートルで、幅約3メートル、高さは人が立っても十分頭上に空きがあるほどだ。
奥の石仏には、カマドウマがくっついている。久々にカマドウマを見た。
玄室から入口方面を振り返ると、この石造建造物の立派さが理解できる。
私が石室内に居たのはわずかな時間だったが、石室の外の明るい日光に当たると、生の世界から黄泉の世界に入り、生きて帰って来たかのような感覚になった。
この石室を築くという技術がどこから日本に渡って来て、どういう経過で日本に文化として定着していったのか、興味が湧くところである。