栗渓神社 

 太閤ヶ平から鳥取市栗谷町に下りる登山道を歩くと、谷間の集落即ち栗谷町に至る。

 この栗谷町に鎮座するのが、栗渓(くりたに)神社である。

栗渓神社

一の鳥居

 この神社の創建は、貞観年間(859~877年)とされている。

 因幡国内に悪疫が流行した時に、鎮疫の神様として著名だった播磨国廣峯神社牛頭天王の分霊を勧請したのが栗渓神社の始まりとされている。

 今となっては、廣峯神社は全国的に有名な神社というわけではないが、この当時は廣峯神社の信仰はかなり広がっていたようだ。

境内への石段

二の鳥居

 播州人である私は、身近にある廣峯神社がかつて全国的な信仰を集めていたことを知って嬉しくなる。

 一の鳥居を過ぎて急な石段を登り、二の鳥居を潜ると境内に至る。

 祭神は、明治の神仏分離牛頭天王から須佐之男命になった。栗渓神社は、江戸時代までは牛頭天王社と呼ばれていた。

境内

拝殿

 境内では、神職の方がジャージを着てしゃがんで草むしりをしておられた。

 地道な環境整備をしないと、このような山麓の社は、たちまち繁茂する植物に覆われてしまうだろう。

狛犬

蟇股の龍の彫刻

木鼻の彫刻

 栗渓神社(牛頭天王社)は、享保五年(1720年)の石黒火事で社殿が焼失し、古記録も失われた。

 元文三年(1738年)、卜部神祇管領より正一位の宣旨があり、正一位牛頭天王と称した。社地を天王山と呼んだ。

 幣殿・拝殿は寛保二年(1742年)に再建された。

社殿

手挟みの彫刻

 本殿は銅板葺の一間社流造である。明治10年に改築された。

本殿

本殿正面の扉

 神門は珍しい形である。鴨嘴祇園守紋(かものはしぎおんまもりもん)というそうだ。

 牛頭天王がインドの祇園精舎の守り神であったことから来ているのだろう。

 本殿の隣には、御神木の真っ直ぐ伸びた杉がある。本殿を再建した時に植えたものだろうか。

御神木

 本殿の右奥には、稲荷神社がある。

 牛頭天王の鎮守社として、過去には背後の天王山の山中に祀られていたらしいが、正保から慶安年間(1644~1651年)に藩主の命で現在地に遷されたのだという。

稲荷神社

 稲荷神社の社殿は、文政十一年(1828年)に改築されたものである。

 また境内には、西宮大神を祀る西の宮社がある。蛭子神を祀っているのだろう。

西の宮社

 西の宮社は、昭和42年に改築された。

 栗渓神社からは、神気というよりは、どことなく親しみ易い空気を感じた。

 背景の天王山を始めとする周囲の自然と一体化している神社という感じがする。

 石黒火事後に再建されてからでも約300年間はこの神社は続いている。

 今日はたまたま神職の草むしりの姿を見たが、神社が今の姿を保っているのも、数百年続けられたこのような地道な環境整備のおかげだろう。

 文化を維持するのは、日々の掃除のような、日の当たらない地道な作業なのかも知れない。

 そう思えば、日々の小さな仕事も馬鹿には出来ないと感じる。