江戸時代後期に来日したオランダ人医師シーボルトは、日本に生息するオオサンショウウオを見て大いに驚いたという。
オオサンショウウオは、ヨーロッパでは絶滅していて、化石としてしか知られていなかったからである。
オオサンショウウオは、世界最大級の両生類で、日本固有種である。岐阜県以西の本州に生息し、四国、九州の一部地域でも生息が確認されている。
2千万年前の化石の形と現生種の形がほぼ変わっておらず、生きた化石と呼ばれ、国の特別天然記念物になっている。
館には、ホルマリン漬けになったオオサンショウウオが展示してあった。
このオオサンショウウオは、昭和20年10月から平成15年7月まで、57年9ヶ月の間飼育されていたらしい。オオサンショウウオは、かなり長生きのようだ。
このオオサンショウウオは、全長143センチメートル、体重44.3キロメートルと、世界最大級のサイズであった。
そして今でも生きたオオサンショウウオを飼育している水槽があった。
天然のオオサンショウウオを見る機会はなかなかない。生きたオオサンショウウオを見学出来たのは、貴重な経験であった。
鳥取県立博物館の自然科学部門の展示は、かなり充実していて、紹介していけば切りがない。
次は歴史部門の展示を見ていこう。
ある意味、山陰地方の古代を最も象徴している展示物かも分からないのは、2隻展示されている縄文時代の丸木舟である。
展示されている丸木舟には、1号と2号があって、両方が鳥取県指定保護文化財である。
丸木舟1号は、約3500年前の縄文時代後期中葉に造られたものである。
杉の幹から造られ、全長は7.24メートル、最大幅0.74メートル、深さ0.35メートルで、現存する縄文時代の丸木舟としては最大級である。
この舟は、湖山池の東側にある縄文時代の遺跡、桂見遺跡から出土した。
湖山池は、日本最大の淡水の池で、当時は日本海とつながっていた。
この丸木舟は、外洋航海用のもので、波の穏やかな湖山池から出発して、日本海を航海したという。隠岐まで行って、隠岐産の黒曜石を運んだりしていた可能性があるという。
縄文時代は、意外と外洋航海が行われていた時代であった。
山陰のクニは、この後も舟を使って北陸、北九州、朝鮮半島と交易し、四隅突出型墳丘墓に代表される、独特の文化を形成した。
館内に展示されている丸木舟2号は、1号と比べて底が浅い造りで、ガマが茂る湖山池の浅瀬でも使えるように造られた内海用の舟であった。
前回も紹介したが、山陰地方では旧石器時代人が活発に活動していた。
大山山麓には、旧石器時代の遺跡と縄文時代の遺跡が並びあって存在する。
大山は、古代から神の山として地元の人々から信仰されてきたが、大山山麓で暮らした旧石器時代人や縄文時代人も、大山を特別な存在と見做していたのではないか。
鳥取県内からは、縄文時代の石棒や、土器など、様々な遺物が発掘されている。
旧石器時代から人々が住み着き、弥生時代には大規模なクニが誕生し、ヤマト王権と異なる文化圏を有した山陰の中心には、いつも名峰大山があった。
私は、大山とその周囲の遺跡や信仰を調べることで、日本文化の源流が分かるのではないかと思い始めた。