玄武洞ミュージアム その4

 古生代最後のペルム紀中生代最初の三畳紀の間に、地球の酸素濃度が低下し、生物の大量絶滅が起こったが、この原因は現在でもまだ特定されていない。

 酸素濃度が下がったため、肺の前後に気嚢を持ち、呼吸後の空気を肺に溜めず、効率的に酸素を取り入れることが出来る恐竜が繁栄した。

メソサウルスの化石

 上の化石は、両生類から進化した水陸両棲の爬虫類、メソサウルスのものである。メソサウルスはペルム紀から生息していた。

 メソサウルスの化石は、アフリカと南米の両方から見つかっており、両大陸がかつて1つの大陸であったことを証明したと言われている。

 約2億5千万年前に三畳紀に入ると恐竜が本格的に登場し、カメ、トカゲ、ワニといった爬虫類も繁栄した。

亀の甲羅の化石

トカゲの化石

 三畳紀は気候は乾燥していて、乾燥に強いソテツ、イチョウ、イチイなどの植物が繁茂していたという。

 また、菌類が樹木を分解出来るようになって、その過程で二酸化炭素が発生するようになり、大気中の二酸化炭素濃度は上昇し、気温が上がった。

 こうして温暖湿潤ジュラ紀が約2億年前から始まる。

 酸素が少ないこの時代、酸素濃度が地上よりまだ高い海中に進出する恐竜が出てくる。

 首長竜や魚竜がそうである。

首長竜プレシオサウルスの化石のレプリカ

魚竜イクチオサウルスの化石

 酸素濃度が12%まで低下したこの時代、気嚢を持たない哺乳類は、横隔膜を上下させることで肺に空気を入れやすくし、生き延びた。

 ジュラ紀に登場したのは鳥類である。小型の肉食恐竜が、飛行できるように進化したのが始祖鳥であるという。

始祖鳥の化石のレプリカ

 始祖鳥は胸骨が発達しておらず、尾に骨があるが、鳥類は進化の過程で、尾は軽い羽根になり、骨は軽い中空構造になり、翼の筋肉をつなぎとめる胸骨が発達した。

 また恐竜と同じく気嚢を持つ鳥類は、高い高度でも呼吸をすることが出来る。

 今我々が何気なく目にする烏やスズメも、まぎれもない恐竜の子孫であり、恐竜がかつて地球上に生息していた証でもある。

 約1億4500万年前から白亜紀が始まる。白亜紀には酸素濃度が上がって寒冷化が進んだ。

 植物は花を咲かせるようになった。恐竜は多種多様な発達を遂げた。

 恐竜の中で最も人気のあるティラノサウルスもこの時代に登場した。

ティラノサウルスの子供の化石のレプリカ

 ティラノサウルスは、最大の肉食恐竜だが、玄武洞ミュージアムに展示してあるのは、アメリカで発掘されたティラノサウルスの子供の化石のレプリカである。全長は成獣の2/3で、体重は1/4であるらしい。

 ティラノサウルスの化石のレプリカの隣に、ジュラ紀の肉食恐竜アロサウルスの鍵爪の化石のレプリカが置いてある。

アロサウルスの鍵爪の化石のレプリカ

 刃物のように鋭い爪である。倒した獲物の体を切り裂いて食べやすくするために進化した機能だろう。一種の機能美を感じる。

トリケラトプスの頭部の化石のレプリカ

 草食恐竜の代表格であるトリケラトプス白亜紀に登場した。

 海にはモササウルスがいた。

モササウルスの化石のレプリカ

 モササウルスは、白亜紀の海の支配者で、鋭い円錐状の歯でアンモナイトを食べていた。

 こうして繁栄していた恐竜だが、約6600万年前に絶滅した。原因は巨大隕石の衝突や火山噴火で大気中に膨大な塵が上がり、太陽光を遮って寒冷化したためだと言われている。

 寒冷化した環境下では、小型の変温動物で、お腹の中である程度の大きさまで子供を育ててから生む哺乳類の方が生存に適していた。

 恐竜が絶滅した約6600万年前から新生代が始まる。

新生代第三紀モグラの化石のレプリカ

新生代第三紀の馬の化石のレプリカ

新生代第三紀のマシラミスの化石のレプリカ

 新生代は、古第三紀、新第三紀、第四紀に分かれるが、古第三紀には小さな哺乳類が主流だったようだ。新生代の地球は、徐々に寒冷化に向かった。

 約2300万年前から約260万年前まで続いた新第三紀には、大陸に草原が広がり、大型の草食獣や肉食獣が出現し、我々人類の祖先も約700万年前にアフリカ大陸に誕生した。

猿人アウストラロピテクスの化石

 約700万年前にヒト族がヒト亜族とチンパンジー亜族とに分かれた。そうして分かれたヒト亜族が猿人アウストラロピテクスである。

 約260万年前には、原人が現れた。原人は石器や火を使用するようになった。

 人類が道具を使い始めてからの時代は第四紀と呼ばれている。

第四紀に登場したマンモスの顎の化石

 第四紀には、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が交互に訪れた。

 人類は、氷期が訪れると過酷な環境に晒されて進化した。

 高校の世界史の資料集の最初の方を見ると、氷期がやってきたタイミングで、原人が旧人に入れ替わり、旧人が新人つまり現生人類に入れ替わったのが分かる。

 生物は、新しく訪れた環境の変化に適応できないものは滅び、適応できたものが生き残るという淘汰のメカニズムにより進化してきた。

 最近の氷期は約12,000年前に終わり、間氷期になって気候が温暖な状態で安定したため、人類は農業を始め、文明を築くことが出来た。

 いずれ再び氷期が来るのは間違いがない。その時は、現生人類は絶滅し、環境に適応した者が新しい人類に進化するだろう。

 生命の歴史を見て気づかされるのは、生物が何度も絶滅してきたということであり、我々人類も生物の一種である以上、その例外ではないということである。

 今の人類は自分たちの子を産んで育て、日々労働して文明の発展と維持に努めている。だがこの人類の文明が、地球環境の変化でいずれ絶滅するのは確実なことである。

 そうすると、今の我々が生きて努力していることに何の意味があるのか、という疑問が生じる。

 人類は、そんな疑問に当面したくないので、なるべくそういう未来を考えないようにしている。しかし生命の歴史を見ると、現生人類の将来の絶滅は、避けることが出来ないことである。

 そんな運命を有する現生人類の生存に意味があるかどうかは、人類以外の存在が決めることではない。

 我々にとってゴキブリの生存の意味がどうでもいいように、ネズミにとって人類の生存の意味はどうでもいいことである。将来高度に進化したAIが、人類の生存が無意味だと計算の結果結論したとしても、それもどうでもいいことである。

 自分たちが生きている意味を決めるのは自分たちである。どうせ滅亡するからと言って、自暴自棄になるわけにもいくまい。

 将来の滅亡を見据えた上で、人類が生きる意味を模索するのが、人間らしさであると思われる。

玄武洞ミュージアムの前を流れる円山川