山門を潜ると真正面に客殿の玄関がある。唐破風が付いた玄関である。
唐破風下の虹梁の上に、6頭の唐獅子の乱舞の彫刻がある。
6代目中井権次橘正貞の得意の作である。
実に細かく彫られた彫刻だ。
玄関の障子の上の欄間の彫刻も、正貞の作である。
応挙は、最初狩野派の流れを汲む石田幽汀の門下に入ったが、朝廷や幕府の絵師にはならず、在野にあって写生を極めた。
また西欧の遠近法の技法も取り入れた。
応挙の画は、民衆にも支持され、画壇の第一人者となり、円山派という流派を開いた。その弟子たちにも著名な画家が多い。
さて、客殿には、その円山派が描いた障壁画があるのだが、全て国指定重要文化財となっている。
中でも応挙本人が描いた障壁画38面は、保存のため平成15年に竣工した鉄筋コンクリート製の収蔵庫で保管されている。
現在客殿で拝観出来る応挙作の障壁画は、デジタル複製画である。
私はまだ応挙本人の画が客殿にあった平成10年の夏に、まだ結婚する前の妻と大乗寺を訪れたことがある。
その時は、R32スカイラインに乗っていた。あの頃は、まだ私たちも若かった。
その時に、今はもう見ることが出来ない、応挙本人の画が展示してある客殿を拝観することが出来た。
今になって思えば、貴重な経験をすることが出来たのだ。
客殿の受付で拝観料を支払って、僧侶の案内で応挙一門の障壁画を拝観した。
勿論写真撮影は出来ない。
客殿は2階建てである。客殿1階は、国指定重要文化財の木造十一面観世音菩薩立像を祀った仏間を中心として、計11間ある。
客殿の障壁画は、この仏間を中心とした一種の立体曼荼羅になっている。
一つ一つの作品にも見所が多いが、客殿全体を一つの作品として眺めた時に、応挙の意図が分かるようになっている。
この記事では、写真で障壁画を紹介することは出来ないので、大乗寺のホームページにある「大乗寺 円山派デジタルミュージアム」のページのリンクを掲載する。
例えば仏間には、仏教を象徴する蓮が描かれ、蓮池の中に十一面観世音菩薩立像が立っているように見える。
仏間の東側の鯉之間には、鯉が泳ぐ川が描かれている。この川は仏間に描かれた蓮池から流れていると想定されている。
そして鯉之間の東側には、実際に鯉が泳ぐ池のある庭園がある。
仏間の北側の山水之間には、滝から流れた水が湖に流れ込み、更に海に注ぐという雄大な風景が描かれているが、鯉之間の川と山水之間の湖は繋がっていると想定されている。
仏間から発した水は、山水之間の大海へと注ぎ込む。そして、山水之間の北には、現実の世界の日本海が存在する。
仏間の西側の孔雀之間には、金色の襖に応挙が描いた「老松孔雀図」がある。
孔雀の描かれた襖を開けると、西面する十一面観世音菩薩立像が目の前に現れる。
私は手を合わせて礼拝した。
僧侶の丁寧でゆとりのある案内と解説のおかげで、ゆっくりと障壁画を拝観することが出来た。
客殿の外に出る。唐破風付近だけでなく、客殿の随所に中井権次一統の彫刻があった。
客殿北側の破風の下には、大きな龍の彫刻がある。
ネット上で確認したが、大乗寺の中井権次一統の彫刻について触れたページは僅かである。
中井権次一統の彫刻群は、すっかり円山応挙一門の障壁画の陰に隠れてしまっているが、こちらも注目していいだろう。
さて境内に、幹の根元が球根のように膨らんだ楠があった。なかなか珍しい。
どうしてこのような形に育ったのだろう。
客殿の北側には、行基菩薩が刻んだとされる聖観音菩薩立像を祀る観音堂がある。
こちらの仏像は非公開である。国指定重要文化財である。
内陣を見ると、聖観音菩薩立像を祀る宮殿の周囲に木造四天王立像が立っているのが見える。
行基開創の伝説を今に伝えるお堂だ。
観音堂の西側には、兵庫県指定文化財である木造薬師如来坐像を祀る薬師堂がある。
大乗寺で唯一ゆっくり拝観できる仏像である。
大乗寺は、日本海の近くにある、優れた美術品に恵まれた名刹である。
密蔵法印と円山応挙の絆が、この寺の障壁画を生み出した。人と人との縁というものは、何事かを生み出すものだ。