観音山から下山し、東進して新温泉町田井にある臨済宗の寺院、仏頂山楞厳(りょうごん)寺に赴いた。
この寺は、京都天龍寺の夢窓国師の孫弟子に当たる南溟禅師が延文五年(1360年)に開山した。
その後足利将軍家や但馬山名氏の庇護を受け、最盛期は塔頭や末寺が30ヶ寺に及んだという。
山門を潜ると、本堂に向かって参道が真っ直ぐ伸びている。
その左側に、今も残る塔頭の慈済寺、自得寺が並んでいる。
楞厳寺には、室町幕府3代将軍足利義満から8代将軍義政までの将軍家御教書や、歴代但馬山名氏の安堵状も所蔵されている。
足利家も山名氏も、禅宗に帰依していた。室町時代前期の武家では、禅宗文化が流行していた。
楞厳寺は、天正八年(1580年)に山名祐豊が羽柴秀長に滅ぼされてからは、衰退していったという。
参道を真っ直ぐ歩くと、楞厳寺の本堂に至る。本堂の脇には、イチョウがたっている。
夏のイチョウは涼しげだ。
恐竜時代だった約2億年前に地球上に誕生し、その後絶滅寸前まで数が減ったが、近代になって再度世界中に広まったイチョウは、存在そのものがドラマである。
楞厳寺には、寺宝として、兵庫県指定文化財の絹本著色南溟禅師像、夢窓国師像、山名時煕像、夢窓国師書状、楞厳寺文書、妙法蓮華経、仏説阿弥陀経などがある。
但馬西部を代表する禅寺である。
本堂の中を見ると、奥に本尊があるが、宝冠を被った姿は大日如来のように見える。
禅寺で大日如来というのはないと思うので、写真を拡大して見てみると、螺髪の上に宝冠が載っている。
手は阿弥陀定印を結んでいるように見える。
となるとこれは元は阿弥陀如来坐像だろう。阿弥陀如来坐像に後から宝冠を載せたようだ。
夏の激しい日差しに、参道の舗装が白く浮き上がって見える。私のほかに参拝者はいない。静かな境内に蝉の声がひたすら響いていた。
今になっては、この寺院の姿が、真夏に見た白昼夢のように思い出される。