萬年山円通寺

 城崎の温泉街から兵庫県道9号線を西進し、兵庫県豊岡市竹野町須谷にある臨済宗南禅寺派の寺院、萬年山円通寺を訪れた。

円通寺下馬門

 この寺は、康応元年(1389年)に月庵禅師が開山した。山名宗全の祖父・山名時義と、父・山名時煕が伽藍の整備に携わった。

 月庵禅師は、兵庫県朝来市の大明寺や大同寺を建立した禅僧で、山名氏との関係が深い人物である。

 円通寺下馬門の右側に、月庵禅師真筆の下馬石がある。

月庵禅師真筆の下馬石

下馬石の説明文を刻んだ石

 この下馬石は、開創の時から長年月を経て土中に埋まったが、先代の住職が掘り出して境内に移した。近年の下馬門の整備に合わせ、元々あった下馬門脇に移設されたそうだ。

 円通寺は、山名時煕の保護下で栄えたが、天正年間の羽柴秀吉、秀長の但馬攻めで衰退した。

参道

 寛永二十一年(1644年)、出石出身の沢庵和尚が円通寺を訪れ、出石藩の支援により仏殿が作られた。

 元禄十五年(1702年)、大石内蔵助良雄の次男大石吉之助が、12歳で出家し、円通寺に弟子入りした。

 大石内蔵助が仇討ちをしたとしても、次男に幕府からのお咎めがないようにするため、内蔵助の妻・りくが出家させたのである。

 その後吉之助は19歳の若さで亡くなった。

総門

境内

 本堂は、入母屋造の簡素なものであった。本尊は釈迦如来である。

 屋根の上に、山名家の家紋の「丸に二引き」の紋が見える。

本堂

屋根の棟の山名家の家紋

 また、円通寺の寺宝として、永徳三年(1383年)に描かれた「絹本淡彩月庵宗光像」がある。兵庫県指定文化財である。

宝物堂

 境内を散策すると、池泉式の日本庭園があった。

日本庭園

 庭の築山は巨大な岩で、その岩に古い木の根が絡みついている。

岩と木の根

 なかなか幻怪な景色であった。

 円通寺は、紫陽花の名所で、紫陽花寺とも呼ばれている。もう少ししたら、境内を紫陽花が覆うことだろう。

 さて、円通寺には、山名時義山名時煕の墓があるということであった。境内を探したが、墓は見当たらなかった。

 本堂の西側に出ると、右と左の二手に道が分かれていた。両方の道が山の中に続いている。

 私は左の道を行ったが、行けども行けども墓は見当たらなかった。

 寺に戻り、偶々外に出て来られていた寺のご夫人に声をかけて、山名氏の墓のありかを尋ねた。

 ご夫人は、「ああ、今日は鉄砲撃ちが山に入っているので、誰も山に入れないようにと言われているのです」とおっしゃった。

 山名氏の墓については、「二手に分かれる道の右の方を300メートルほど行くと、墓があります。でも今日は誰も山に入れるなと言われておりますので」と教えて下さった。

 そして、「最近は、歴史好きな人が多いですね。この前もお墓を見に来た人がいました。ここは山名の寺ですが、山名に興味を持つ人が多いようですね」とおっしゃった。

 私はお礼を言ってご夫人と別れた。山から銃声も聞こえてこないので、ご夫人に内緒で墓に参ろうかとも思ったが、矢張り思いとどまった。

 山名時義も、山名時煕も、それほど有名な武将ではない。それでも関心を持って墓に参る人が他にも多数いるようだ。なぜかは分からぬが、この時代に関心がある人が他にも多くいることを知って、安堵を覚えた。