楞厳寺の参拝を終え、湯村温泉に向かって南下する。
湯村温泉の手前の兵庫県美方郡新温泉町熊谷にある真言宗の寺院、熊野山善住寺を訪れた。
この寺は、長保元年(999年)に覚増上人が、全国行脚の途中にこの地に立ち寄り、熊野三山に地形が似ていたことから霊験を感じ、開創したのが始まりだと言われている。
山門を潜って境内に入ると、右手に延命地蔵尊と千体地蔵がある。
また境内の欅は、木肌がゴッホの絵画のようで面白い。
この寺は、中世には、付近の多数の神社を管理する別当職として七堂伽藍を有していたという。
中世には、寺院が神社を管理していたのだ。
欅の手前には、苔がついて古びた宝篋印塔がある。新温泉町指定文化財である。
無銘であるが、様式から室町時代のものと見られている。
本堂内からは、法事であろうか、誦経の声が聞こえてくる。
私が持つ「中井権次の足跡」という、丹波の彫物師中井権次一統の彫刻を有する寺社を紹介した冊子には載っていないが、この善住寺の本堂と阿弥陀堂の彫刻も、必ず中井権次一統の作品だろうと思われる。
特に阿弥陀堂の籠彫りの技法は、中井権次一統の独壇場のものである。
阿弥陀堂は、本堂の左奥にある。
阿弥陀堂は、応永三十三年(1426年)に藤原兼光により建築されたと伝わる建物で、新温泉町指定文化財である。
三面回廊や組み物に、室町時代初期の特徴を色濃く残す貴重な建物であるそうだ。但馬屈指の古建築物である。
これほど古い建物であれば、国指定重要文化財になっていてもおかしくないが、そうなっていないのは、江戸時代に中井権次一統の彫刻が施され、後補の痕跡が著しいからだろう。
この彫刻群では、軒下の力士の像が印象的だが、特に特徴的なのは、煩瑣なまで装飾された手挟みの籠彫りである。
実に見事な彫刻群である。
堂内には、兵庫県指定文化財の木造阿弥陀如来坐像が祀られている。室町時代の作であるという。
引き戸のガラス越しでしか写せないので、天井画の全体を撮影することは出来なかった。
善住寺の周辺には、熊野神社や八幡神社がある。神仏習合の考え方では、熊野神社に祀られる熊野権現や八幡神社に祀られる八幡大菩薩の本地仏は阿弥陀如来である。
またいずれ改めて記事にしたいが、最近私は柳宗悦の著書「南無阿弥陀仏」を読んで、一遍上人に甚深な興味を持つようになった。
一遍上人は、念仏を広めるための行脚中、熊野本宮に参拝し、熊野権現から神示を受けて、南無阿弥陀仏の念仏を人々に勧進する意味を教えられた。
中世から近世にかけての日本では、熊野神社や八幡神社に向かって南無阿弥陀仏の念仏を唱えるということが、普通に行われていたのだろう。明治の神仏分離を経た現代では想像することすら出来ない信仰の姿である。
特に八幡神社は、日本で最大の数を有する神社である。