末代山温泉寺 その4

 温泉寺宝物館には、世界最古の印刷楽譜である文明四年(1472年)版、声明(しょうみょう)集が展示されている。

文明四年(1472年)版 声明集

 声明とは、お経に節をつけて唱えるもので、僧侶が儀式の時に仏の教えを賛嘆するために唱える仏教音楽である。

 この文明四年版声明集は、高野山で出版された。木版印刷だろう。

 ヨーロッパでは、最古の印刷楽譜として、1473年に「グレゴリアン聖歌」の印刷楽譜が出版されている。それより1年古いこの声明集は、世界最古の印刷楽譜と言える。

 文明四年と言えば、まだ応仁文明の大乱が継続している最中である。そんな時に、仏の教えを賛嘆する声明集が出版されていたのだ。

 応仁文明の大乱がきっかけで、日本列島は戦国時代に突入した。だがそんな戦乱の時代にも、仏教文化は滅びずに続いていた。

釈迦涅槃図(戦国時代)

 戦国時代に狩野派の祖・狩野正信によって描かれたと伝わる「釈迦涅槃図」が展示されていた。

 釈迦涅槃図は、釈迦が涅槃(死)に入った時、北枕で横たわる釈迦を弟子や菩薩や鬼畜が取り囲んで嘆き悲しんだ様子を描いたものである。

 毎年陰暦2月15日の釈迦入滅の日に行われる涅槃会において、釈迦の遺徳を偲ぶため、各寺院で掲げられるものである。

 描かれた人物や衣服の線を見れば、この絵を描いた人物が、非凡な技法の持ち主だと分かる。

 館の入口近くには、安土桃山時代に作られた羅漢像が二体置かれている。

五百大羅漢諸主の像(安土桃山時代

 羅漢は阿羅漢の略称で、悟りを開いた立派な人物を指す。

 釈迦の死後、仏法の護持を誓ったという16人の弟子を十六羅漢という。また釈迦に従った五百人の弟子を五百羅漢という。

 館にある安土桃山時代の羅漢像は、彩色が剥げてきているが、元々は安土桃山時代らしい豪奢な彩色が施されていたのがわかる仏像であった。

 昨日は鎌倉時代胎蔵界大日如来坐像を紹介したが、今日は江戸時代初期の金剛界大日如来坐像を紹介する。

金剛界大日如来坐像(江戸時代初期)

 金剛とは、ダイヤモンドを指す言葉で、何ものにも揺るがず、決して壊れない大日如来智慧を意味している。

 真言密教では、この宇宙の現象は全て大日如来智慧の発現としている。

 他の如来像は、納衣(のうえ)を着ただけの簡素な人物像で表現されることが多いが、大日如来は、宝冠を頂き、瓔珞を着けている。

 宝冠や瓔珞は、世界を支配する理想の帝王・転輪聖王(てんりんじょうおう)が着けるものとされている。

 大日如来は、仏教の世界の転輪聖王で、最高の如来であるため、宝冠と瓔珞を着けた姿で表現される。

 宇宙の現象が大日如来智慧の発現であるならば、自分の体も人生も、大日如来智慧の発現ということになる。

 真言密教では、我々が経験すること全てが大日如来そのものであると教えている。実は人は皆生まれながらに成仏しているのである。

 あとは自分を磨いて、それに気づくかどうかである。

 貞享五年(1688年)には、仁和寺の僧侶だった大僧正孝源が「温泉寺縁起」を書いた。

「温泉寺縁起」 貞享五年(1688年)

 温泉寺の歴史や伝承を現代に伝える貴重な文書である。

 館には、江戸時代に作られた観音の三十三身像がある。

観音の三十三身像(江戸時代)

 観音菩薩は、悟りを開いた如来が、苦しむ衆生を救うため、敢えて修行者である菩薩形になって現れたものと言われている。

 三十三は無限を現している。この三十三身像は、観音菩薩があらゆる人々を救うため、老若男女あらゆる姿に変化している様子を象ったものである。

 三十三体が揃って制作され、その全ての像が残っているのは、珍しいことであるそうだ。

観音の阿修羅身

 大乗仏教では、悟りを開くだけでは人々を救えないとしている。

 悟りを開いた人は、現実の世界で、様々な方便(方法)を用いて苦しむ人々を救い、助けねばならないとしている。

 そうでなければ、悟りは単なる自己満足、独善に陥るという考えがあるのだろう。

 また、江戸時代に描かれた、大悲胎蔵生と金剛界の種子曼荼羅があった。

大悲胎蔵生の種子曼荼羅(江戸時代)

金剛界の種子曼荼羅(江戸時代)

 種子とは、梵字のことである。梵語サンスクリット語)は、古代インドでバラモン教聖典などで使われた宗教的言語である。

 梵字の羅列で表された真言は、「リグ・ヴェーダ」のころからインドで唱えられていた聖なる呪文である。ヒンドゥー教ではまじないの言葉として唱えられた。

 仏教は当初は呪文を排斥していたが、次第に呪文を唱えるヒンドゥー教の人気に押され始めた。

 一部の仏教教団は、ヒンドゥー教に対抗して教えに呪文(真言)を取り入れた。ここに密教が成立する。

 ヒンドゥー教真言密教真言の違いは、前者が日常生活の幸福のために唱えられるのに対し、後者は悟りを得るために唱えられるところにある。

 梵字の一文字一文字には、宗教的な意味があり、密教では曼荼羅に描かれる諸尊一体に梵字一文字があてがわれている。

 上の種子曼荼羅では、諸尊を仏身ではなくそれに照応する梵字で描いているのである。

 真言密教は、ヒンドゥー化した仏教とも捉えられるが、考えようによれば、日本の真言密教は、古代インダス文明の呪文から漢語の経典、日本の神々までをも包摂する、アジアを横断する広大な教えであるとも言えるのである。

 館には、室町時代から江戸時代にかけて出版、書写された、寺に伝わる書物が保管されている。温泉寺古文書と呼ばれている。

温泉寺古文書(室町時代~江戸時代)

 「書経」「詩経」「孟子」といった儒学の古典や、「唐詩選」といった文学作品もある。

 仏教では、仏教の教えを書いたお経を「内典(聖教)」と呼び、仏教以外の教えを書いた書物や文学作品などを「外典」と呼んで区別した。

 しかし、弘法大師は、密教パンテオンの中で、儒教の教えや文学作品も仏の世界の一部として位置付けた。

 こういった外典を歴代僧侶が学んでいたのも、密教らしい。

 温泉寺宝物館は、豊饒な密教文化を味わわせてくれた。私は充実した気分で館を出た。