丹後
細川ガラシャ夫人像の視線の先、大手川ふれあい広場の東側には、大手川が流れている。 この大手川から東側は、天正八年(1580年)に細川藤孝、忠興父子が築城した宮津城があった場所である。 大手川右岸沿いには、当時の城を偲ぶよすがとするためか、城壁風…
和貴宮神社から東に歩き、同じ宮津市宮本にあるカトリック宮津教会に赴いた。 カトリック宮津教会 カトリック宮津教会天主堂は、丹後地方のカトリック教会の創立者であるフランス人宣教師ルイ=ルラーブ神父により、明治29年に建てられたものである。 カトリ…
大久保山城跡から下りて、宮津市宮本にある和貴宮(わきみや)神社を訪れた。 ここは宮津の町の東側の産土(うぶすな)神である。祭神は、丹後国一宮籠(この)神社と同じく、豊受毘売(とようけびめ)神である。 和貴宮神社 鳥居 この神社の創建の詳細は分…
桜山天満宮から智源寺の裏側にかけての丘陵は、桜の木が多いので桜山と呼ばれている。 安政三年(1856年)には、島崎の砲台築造のための土取場になった。 土が取られて平坦になった場所に、明治になって本荘神社が建てられた。 桜山と大久保山 上の地図の右…
智源寺の参拝を終えて、宮津市万町にある桜山天満宮を訪れた。 狭い一方通行の道に面した民家の間に鳥居があるので、車で前を通っても見落としそうである。 私も一度通過してしまい、二度目に境内に辿り着いた。 桜山天満宮 桜山天満宮がこの地に勧請された…
八幡山城跡の見学を終えて北上し、宮津の市街地に入る。 宮津市京街道にある曹洞宗の寺院、松渓山智源寺を訪れた。 松渓山智源寺 この寺は、寛永二年(1625年)に、宮津藩主京極高広が、母の惣持院殿松渓智源禅尼の菩提を弔うために建てた寺である。山号と寺…
曲輪の次には切岸があり、切岸の上に曲輪があるという光景が連続する。 曲輪と切岸 曲輪群を過ぎて進んでいくと、二ノ丸跡の切岸が見えてくる。 ここからが城の主郭である。 二ノ丸の切岸 二ノ丸跡からは、城の北西方向を眺めることが出来る、八幡山城跡第一…
盛林寺の参拝を終えて北上し、宮津市宮村にある八幡山城跡を訪れた。 八幡山は、標高約165メートルの低山で、その中腹に猪岡八幡神社という神社がある。この神社の裏から城跡の遺構が始まっている。 猪岡八幡神社 猪岡八幡神社は、長和五年(1016年)に、丹…
盛林寺の境内に、三界唯一心塔婆という塔婆がある。 三界唯一心塔婆 この塔婆は、上部に蓮華座上の円相を刻み、下部中央に大きく三界唯一心と刻み、その左右に13名の僧衆の名を刻んでいる。 この僧衆は、開山趙室宗栢和尚の学徳を慕って盛林寺に参学した近隣…
鬼の岩屋の見学を終えて、府道9号線に戻って北上した。 私は当初、宮津市小田から府道16号線に入って峠を越え、先ほど山上から見下ろした加悦谷の史跡を訪れようと考えていた。 ところが府道16号線が工事中で、途中から通行止めになっていた。そこで予定を…
千丈ヶ嶽から福知山市大江町仏性寺方面に下りて、府道9号線を北上する。 京都府宮津市に入りしばらく進むと、左に入る細い道がある。その道は、車1台がようやく通るかという狭い道である。 この道は、山上の大江山航空管制塔まで続いている。 航空管制塔 …
12月1日に丹後の史跡巡りをした。 前々回の史跡巡りも丹後だった。間を置かずに行ったのは、本格的な冬が来る前に大江山に登りたかったからである。 大江山と言うのは、大江山山系の総称で、大江山と言う名の単独の山があるわけではない。 一般的には、大江…
日本で鬼退治伝説が残っている地域としては、丹後の大江山の他に吉備地方がある。 吉備にはかつて温羅(うら)という鬼がいて、人々を困らせていた。 温羅は、第10代崇神天皇の御代に、四道将軍の一人、大吉備津彦命に征服されたと伝承されている。 温羅の面…
鬼ヶ茶屋から府道9号線を北上し、京都府福知山市大江町仏性寺にある日本の鬼の交流博物館に行った。平成5年に開館した博物館である。 この博物館は、意外と見所のある面白い博物館であった。 日本の鬼の交流博物館 大江山に棲んでいた鬼を中央政府から派遣…
毛原集落の棚田を見学した後、府道9号線に戻り、北上を続ける。 宮津街道沿いの史跡紹介が続く。 京都府福知山市大江町佛性寺にある真言宗の寺院、鎌鞭山如来院に赴いた。 如来院参道 如来院 如来院は、以前の記事で紹介した、用明天皇の第三皇子で、大江山…
福知山市大江町から宮津市に抜ける峠道を宮津街道と言う。これから、宮津街道周辺の史跡を案内する。 宮津街道は、平安時代には任地の丹後国府に向かう藤原保昌と和泉式部が歩き、江戸時代には宮津藩の参勤交代の行列が通った歴史ある道である。 街道の西側…
元伊勢内宮皇大神社の境内から、天岩戸神社への道を歩き始めた。 天岩戸神社への道 天岩戸とは、弟の素戔嗚尊が高天原で行った乱暴狼藉にショックを受けた天照大御神が、引き籠った岩窟を指している。 天照大御神は太陽神であることから、天岩戸神話は日食を…
古式を残す黒木鳥居を潜ると、正面に皇大神社の社殿が、向かって右に天手力雄(あめのたぢからお)神社が、向かって左に栲機千千姫(たくはたちぢひめ)神社が鎮座している。 皇大神社と相殿 皇大神社には、祭神の天照皇大神が祀られている。 伊勢神宮内宮の…
二俣港石から府道9号線を北上すると、福知山市大江町内宮にある元伊勢内宮皇大神社の参道入口に至る。 参道に入らずに、参道手前の交差点を右側の道に行くと、すぐ右手の田の向こう側に、船岡山の舟つなぎ石と伝承されている内宮港石がある。 内宮港石 昔は…
本殿の向かって右には土之宮、向かって左には多賀之宮が鎮座する。 土之宮 多賀之宮 伊勢神宮には正宮と別宮がある。 正宮には祭神を祀り、別宮には正宮に次ぐ神々を祀っている。 伊勢神宮外宮である豊受大神宮には、別宮として土宮、多賀宮、風宮がある。 …
福知山市大江町には、元伊勢三社と呼ばれる三つの神社が存在する。 即ち、元伊勢外宮豊受大神社、元伊勢内宮皇大神社、天岩戸神社の三社である。 元伊勢、というのは、伊勢神宮に鎮座する神々が元々鎮座していた場所という意味である。 豊受大神社が鎮座する…
旧平野家住宅の見学を終えて由良川を越えて南下し、福知山市大江町南有路にある才ノ神の藤に赴いた。 才ノ神の藤は、樹齢2000年とも1200年とも言われる山藤のことで、京都府天然記念物に指定されている。 才ノ神の藤 才ノ神の藤には、藤棚の下と、藤の幹の根…
日吉神社の参拝を終え、福知山市大江町北有路にある旧平野家住宅を訪れた。 旧平野家住宅の門 旧平野家住宅は、江戸時代にこの地で酒造と舟運で財を成した平野家が、明治42年に建てた住宅である。 今は大雲記念館として公開されているが、見学には事前の予約…
清薗寺の参拝を終え、清薗寺の北側にある日吉神社を訪れた。河守寺社巡りもこれで最後である。 日吉神社 日吉神社鳥居 日吉神社の祭神は、大山咋(おおやまくい)神である。比叡山の地主神とされ、比叡山の鎮守である日吉大社に祀られている。 全国にある日…
河守の寺社巡りで次に訪れたのは真言宗の寺院、鎌鞍山清薗寺である。 清薗寺参道 清薗寺 清薗寺の開創には、聖徳太子の弟、麻呂子(まろこ)親王の鬼退治伝説が関係している。 清薗寺の寺宝である「紙本著色清薗寺縁起」は、南北朝時代に清薗寺の創建説話を…
今年4月20日に訪れた京都府福知山市大江町河守を再度訪れた。 河守の町の西側の山沿いに、神社仏閣が並ぶように建っている。 今回は四宮神社を訪れた。 四宮神社の参道 四宮神社 私が訪れた10月5日は、秋季例祭の準備だろうか、地元の方たちが境内で作業を…
10月5日に丹後の史跡巡りを行った。4月20日に訪れながら、急遽入った仕事の都合で史跡巡りを途中で打ち切ってから、久々の来訪である。 最初に訪れたのは、京都府福知山市雲原にある雲原砂防関連施設群である。 雲原砂防公園にある雲原砂防の碑 福知山市雲…
浄仙寺の背後に聳える山の上に、河守城跡がある。 河守城跡 河守城は、室町時代初期に、新治内蔵之佐利照が築城したと伝えられる。 河守城跡縄張図 河守城跡には、浄仙寺の北西側から登ることが出来る。九十九折りの山道沿いに、西国三十三所の観音菩薩の石…
念称寺から東に歩くと、浄土宗の寺院、天輝山浄仙寺がある。 浄仙寺の背後には、中世山城である河守城跡があるが、浄仙寺は河守城主の屋敷跡に建った寺院と言われている。 浄仙寺 確かに傾斜の強い石垣の上に建つ浄仙寺は、かつて要害の地であったと言われて…
鬼ヶ城から下りて、国道175号線を北上し、福知山市大江町河守(こうもり)の町に入る。 河守は、宮津藩最南端の宿場町で、京と宮津を結ぶ京街道の中継地点であった。 河守の街道筋 河守は、鬼退治伝説で有名な大江山の麓にある町である。 河守の鉄道駅である…