浄仙寺の背後に聳える山の上に、河守城跡がある。
河守城は、室町時代初期に、新治内蔵之佐利照が築城したと伝えられる。
河守城跡には、浄仙寺の北西側から登ることが出来る。九十九折りの山道沿いに、西国三十三所の観音菩薩の石像が祀られている。
河守城跡は、麓の集落との比高差が約135メートルと低いので、登り始めてすぐに山頂近くに至る。
まず東屋が見えてくる。
東屋の背後には、土塁らしきものがある。北側の斜面から攻めてくる敵兵に備えたものであろう。
土塁の奥には祠がある。祠に手を合わせて先に進んだ。
祠の先には、犬走を備えた城の防御機構がある。
更に先に進むと、本丸と思われる一角に出た。
麓にあった案内板の縄張図と、実際の城の形がどうも違うので、どこが本丸でどこが二の丸なのか分からなくなった。
上の仮に本丸とした写真の場所から奥に行くと、更に尾根が続いているが、これが自然の尾根なのか曲輪なのかよくわからない。
山の中で方角もよくわからなくなった。本丸かと思った場所の右手に小高くなった場所が見える。
私が本丸かと思った場所が実は二の丸で、この小高くなった場所が本丸なのかも知れない。
というのは、この小高くなった場所の上の方が、曲輪と思われる削平地が細長く続いていたからである。
結局、城の遺構をよく認識できないままに下山した。
河守城は、南北朝期に築城されたが、戦国時代には使われなかったようだ。
長い年月の間に、徐々に風化してしまったのだろう。
私は下山して、次の目的地である四宮神社を目指して歩き始めたが、ここで急遽仕事の連絡が来たので、史跡巡りを中断することになった。
今回の丹後の史跡巡りは、中途で終わったが、次回には、加佐郡の更に奥に進んでいこうと思っている。