日吉神社の参拝を終え、福知山市大江町北有路にある旧平野家住宅を訪れた。
旧平野家住宅は、江戸時代にこの地で酒造と舟運で財を成した平野家が、明治42年に建てた住宅である。
今は大雲記念館として公開されているが、見学には事前の予約が必要だったようで、内部の見学はできなかった。
旧平野家住宅は、伝統的な民家の平面形式を基本としながら、多彩な座敷構成をとり、一部に数寄屋の意匠や茶屋を構え、洋小屋を有するなど近代和風建築の要素も合わせ持っている。
それにしても広壮な建物である。私には、このような立派な和風建築に対する憧れがある。
建物の裏に回ると、窓から内部を窺がうことが出来た。
書院の襖には花鳥画や山水画が描かれている。なかなか豪勢な造りである。
こういうところでじっくり漢籍を読むような生活をしてみたい。
旧平野家住宅の裏側には、高瀬舟が展示されている。
高瀬舟は、江戸時代から明治時代初期にかけて、日本の交通の主要部分を担った乗り物である。
大きな河川を上下して、食料や木材などを運んだ。
川底にひっかからずに進めるよう、船底は平らに浅く作られている。
旧平野家住宅の高瀬舟は、目の前を流れる由良川に浮かべられていたものだろう。
艫には舵を通した穴が空いている。
近世の高瀬舟には、帆走するものもあった。船頭が川底に竿を突いて舟を推進させたり、岸から馬や人が引っ張ったりもした。
高瀬舟は川船である。由良川の河口に至れば、積み荷を外海を行く船に積み替えた。高瀬舟は、北前船と共に、江戸時代の交通を代表する乗り物であった。
明治になって鉄道が開通すると、高瀬舟は一挙に運輸の主力から滑り落ちた。
それまで交通の主力だった乗り物より効率的で優れた乗り物が登場すれば、交通・運輸の主役は入れ替わる。
今は、中国製の電気自動車が、世界を席巻しようとしている。自動車先進国の欧米の自動車メーカーも、中国の電気自動車の方が自分達のものより優れていてかつ安いと認めざるを得なくなって来ている。
一昔前まで、中国の自動車が世界をリードするなど、考えることすら出来なかった。
江戸時代の人々も、高瀬舟が用なしになるなど考えもしなかっただろう。
時代の変化というものは、予測がつかないからこそ面白い。