日本で鬼退治伝説が残っている地域としては、丹後の大江山の他に吉備地方がある。
吉備にはかつて温羅(うら)という鬼がいて、人々を困らせていた。
温羅は、第10代崇神天皇の御代に、四道将軍の一人、大吉備津彦命に征服されたと伝承されている。
温羅は、当時の吉備に住んでいた、百済の王子に率いられた製鉄集団だったという説がある。
いずれにしろ、古代において、大和朝廷に服属しなかった集団を征服したことが、鬼退治伝説として伝わったのであろう。
大江山では、平安時代に源頼光が、大江山に棲む酒呑童子という鬼を退治したという話が伝わっている。
源頼光は、渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武という4人の部下を引き連れて、山伏の姿に扮して大江山に入った。
頼光は、大江山で鬼達から食事を供された。頼光は、鬼たちが油断した頃合いを見て、鬼から神通力を失わせる酒を酒呑童子らに勧めた。
酒を飲んで酔って眠りについた鬼たちを、頼光らは刀で斬って退治したという。
宮城県村田町には、その時渡辺綱が腕を斬って退治した茨木童子のミイラとされるものが伝わっている。勿論本物の鬼のミイラなどではなく、江戸後期に人為的に作られたものと見られている。
酒呑童子退治説話は、南北朝期に成立し、「御伽草子」などで紹介されるようになり、人口に膾炙するようになった。
また、博物館には、世界の鬼や悪魔のお面などが展示されていた。
インドネシアのバリ島では、バジ鬼という鬼が道端に祀られている。バジ鬼は、子供が事故や病気に遭わないように見守ってくれる存在だという。どことなく日本のお地蔵さんに似ている。
世界の鬼たちにも、二本の角が生えているという点は共通しているようだ。
「鬼」は勿論中国で生まれた文字だが、この鬼の字は、元は人間の死後の霊魂を指しているそうだ。
中国では鬼とは人間の霊魂のことであり、日本のように人間と異なる妖怪のような存在ではない。
ヨーロッパでは、鬼に近い存在として、神の教えから背くように人間を誘惑するサタンがいる。
しかし、多神教の日本と異なって、ヨーロッパのサタンには、人間を見守る存在という要素は皆無である。
鬼のことを考えると、洋の東西を問わず、人間が架空の存在を脳の中で作り上げ、それに自分達の気持ちを託するということが、共通の現象であるということが分かる。
鬼は、人間の中に潜むある要素が表出したものである。
今、アニメ「鬼滅の刃」が流行している。鬼は、時代を超えて現代でも人々を魅了し続けている。
さて、日本の鬼の交流博物館は、実は大正6年から昭和44年まで銅鉱山として稼働していた河守鉱山の跡地に建っている。
博物館から出て、鬼のモニュメントの方に車を走らせると、途中河守鉱山坑道の入口跡があった。
河守鉱山は、一時京都府下最大の鉱山として知られ、鉱山周辺には住宅や売店、グラウンド、映画館、保育園、医療機関が建ち並び、人口は約1000人を数えたという。
だが、主要鉱脈を掘りつくし、昭和44年には閉山となった。
坑道跡から坂道を登っていくと、平成元年に建てられた鬼のモニュメントがある。
このモニュメントは、酒呑童子、茨木童子、星熊童子という3人の鬼の銅像を象ったものである。
退治された鬼たちの姿はどこか悲し気である。
私は子供のころ、特撮物やアニメをよく観ていたが、鬼の悲しさには、人間に退治された初代ゴジラや、妖怪人間ベムたちに通じる悲しさを感じる。
これら怪獣や妖怪は、人間の中に潜む願望や恐怖を具現化したものと思われる。これらのものは、そのままの姿では表に出すのが憚られる。なので怪獣や妖怪の姿をとることになる。
怪獣や妖怪の退治譚には、人間がこうした自分達の中に潜む表に出しにくいものに蓋をしたあとの、ある後ろめたさを感じるのである。