福知山市大江町から宮津市に抜ける峠道を宮津街道と言う。これから、宮津街道周辺の史跡を案内する。
宮津街道は、平安時代には任地の丹後国府に向かう藤原保昌と和泉式部が歩き、江戸時代には宮津藩の参勤交代の行列が通った歴史ある道である。
街道の西側になるが、日室ヶ嶽の西側に、北原という集落がある。
山の斜面にある集落で、大江町内宮の集落から約10キロメートルは林道を走らなければ辿り着けない場所である。
ここは、平家の落人が辿り着いた村だという伝承がある。白洲正子が言うところの、隠れ里のような集落である。
集落の奥に、古くから信仰されてきたと思われる小さな神社があった。北原熊野神社である。
熊野神社の手前には、薬師堂がある。ささやかなお堂である。
いつの頃のものか分からぬ古い薬師如来像が祀られている。
お堂の側には、多くの供養塔があった。
ここまで落ち延びてきた平家の将兵の供養塔であろうか。由来は分からぬ。
細い参道を歩くと、すぐ熊野神社の鳥居が見えてくる。
参道脇には、古い石仏が集められている。中には青面金剛の石仏もある。
昔はこの集落でも、庚申講が行われていたことだろう。
鳥居を潜って進むと、本殿の覆屋が見えてくる。
丹波や丹後地方は、本殿を覆屋で保護している神社が多い。
湿気が高く、冬は積雪するこの地方ならではである。
この神社が平家の落人とゆかりがあるのなら、800年以上は落人とその子孫と共に歩んできたことになる。
外界と隔絶したような山奥の集落にも、長い長い歴史があるのだ。
次に訪れたのは、宮津街道の東側にある毛原という集落である。
ここは棚田で有名である。
だが、今は耕作放棄された田もあるようで、雑草で覆われた田もある。
それでも集落を囲む山の麓まで続く棚田は見物である。
集落に六道地蔵が祀られていた。
実にカラフルに彩色されたお地蔵さんであった。
人が悟りを開くまで輪廻するという六道の世界も、このような明るいものであったなら、さぞ楽しかろうと思った。