鬼ヶ茶屋から府道9号線を北上し、京都府福知山市大江町仏性寺にある日本の鬼の交流博物館に行った。平成5年に開館した博物館である。
この博物館は、意外と見所のある面白い博物館であった。

大江山に棲んでいた鬼を中央政府から派遣された武者が討伐したという鬼退治伝説が3種類伝承されている大江町ならではの施設である。
博物館の手前には、青海波唐破風を持つ門がある。


青海波唐破風とは、龍と雲と波をデザインした装飾瓦のことである。
豊後地方に多く、大分県下では約40ヶ所確認されている。ほとんどが、寺社の向拝や玄関の唐破風である。
この門の青海波唐破風は、平成6年11月に、青海波唐破風の唯一の継承者だった生野盛により制作されたが、経年劣化が激しくなったので、平成24年12月に、日本鬼師の会により再現された。

博物館の敷地には、巨大な鬼瓦がある。高さ5メートル、重量10トンという大きさである。
「平成の大鬼」と呼ばれているらしい。

日本の鬼の交流博物館は、鬼の角をイメージしていると思われる2つの尖った屋根を有する。

なかなかの遊び心だ。
この博物館は、全国各地の鬼に関する伝統芸能を始め、国内の鬼文化に関する資料を展示している。
また日本だけでなく、世界の鬼面や仮面、悪魔などの面も展示紹介している。
鬼に関する資料館としては、全国随一であろう。
玄関から入ってすぐに、鬼を象った昔の薬屋の看板がある。お腹に「はらいたのくすり」と書いている。

これは、胃腸薬の広告看板である。
鬼のように頑健な人が、急性胃腸病にかかることを「鬼の霍乱」という。霍乱とは、下痢や嘔吐を伴う胃腸病である。
この看板は、この「鬼の霍乱」という諺にかけて作られたものだろう。
玄関から展示室に向かって歩く途中、日本各地の寺社の鬼瓦が展示されている。

一番手前には、滋賀県の西光寺にあった寛保四年(1744年)製作の鬼瓦がある。
それにしても、日本人にとって鬼とは一体何なのだろう。
怖い存在であると同時に、どこか親しみが持てる。またどこか悲し気である。
鬼とは何かを考えているうちに、ゴジラと共通点が多いことに気が付いた。
鬼は、我々人間と同族ではないが、常に人間にメッセージを送り続けようとする存在だ。
鬼という漢字を当てはめる前の日本のオニは、子供達を見守る神の化身のような存在だった。

秋田県のナマハゲは、遠くから子孫を見守り、子孫の怠惰や不和などの悪事を諫め、災いを払いにやってくる来訪神である。
角がある見た目から鬼と混同されるが、ナマハゲは鬼ではないらしい。
出雲大社で正月に行われる番内という行事は、鬼が歳徳神の幟を立てて、太鼓を叩きながら神謡をうたい、町内を練り歩いて厄を払うというものである。

鬼は、本来はこうした災いを払う神の使いだったのではないか。災いを払うために、憤怒の形相をして、角を持つ怖い姿に擬せられたのではないか。


このように、「めぐみ」と「こらしめ」の両面を持っていた祖霊的なオニが、恐ろしい鬼になったのは、仏教と陰陽道の影響であった。
仏教の伝来と共に、インドの羅刹や夜叉、餓鬼といった鬼が日本に入って来た。
又、浄土教の普及と同時に広まった地獄の思想は、地獄で死後の人間を苦しめる鬼の恐ろしいイメージを増幅した。

日蓮宗でよく信仰される鬼子母神は、人間の子供を奪っては食う邪悪な存在であった。

釈迦が鬼子母神を改心させるため、鬼子母神の子を隠すと、愛児がいなくなった鬼子母神は、人の子を奪う非を悟り、釈迦の説諭を経て人間の子供を守る守護神になった。
仏教に出て来る鬼は、悪役ばかりではない。大分県の国東半島の鬼祭りでは、鬼は悪魔を退散させ、人に幸せをもたらす仏の化身である。

立春の前日に日本中の寺院で行われるのが、追儺や節分の行事である。
この行事では、昨年の災いの象徴として鬼が追い払われる。
最初宮廷で行われていた行事が寺社で行われるようになり、室町時代には民衆にも広まって豆まきが行われるようになった。

全国の豆まきで追い払われた鬼たちが蔵王堂に集まって、修験者たちに調伏されて、改悛し、いい鬼に生まれ変わるという行事である。

また、岩手県安代町打田内では、鬼の藁人形作りが240年間も継承されている。

天明年間(1781~1789年)の飢饉で数多くの村人を失った村が、二度とこのような悲しむべき出来事が起きないように、強い鬼に村を守ってもらうために、鬼の藁人形を作って、豊作と子孫繁栄を願ったのだという。
こうして見てくると、鬼は怖い姿をしているが、我々を諫め、守り、厄を払ってくれる存在である。
それは、人間の様々な願望が投影された姿でもある。人間の願望というものは、鬼のように怖い姿をしているのかも知れない。