大久保山城跡から下りて、宮津市宮本にある和貴宮(わきみや)神社を訪れた。
ここは宮津の町の東側の産土(うぶすな)神である。祭神は、丹後国一宮籠(この)神社と同じく、豊受毘売(とようけびめ)神である。
この神社の創建の詳細は分かっていないが、社殿棟札の一つに、永正二年(1505年)九月十二日の造営を記しているものがあるそうだ。
また細川時代の盛林寺過去帳に、「脇ノ宮」に悦山正善なる社僧がいたことが記されているという。
この脇ノ宮と和貴宮神社は同一であろう。
拝殿は、修復を経たからか新しく見えるが、文政三年(1820年)に建立されたものである。
拝殿天井には、巨大な白龍の絵が描かれている。これは新しいものだ。
本殿は覆屋で守られているので、全貌を見ることが出来ない。
覆屋の隙間から僅かに本殿を覗き見ることが出来る。
本殿は、文化四年(1807年)に完成したものである。
職人町の清水清助が大工棟梁になり、万町の富田弥四郎が後見となって、その下で多くの職人、講中が力を結集して、社殿は成ったようだ。
本殿の脇には、樟の立派な神木と、水越岩という名の大岩がある。
現在は、和貴宮神社の北方約1キロメートルに海岸があるが、昔はこの水越岩の辺りまで海だったという。
水越岩という名は、波がこの岩を越していたことから来ているのだという。
ここまで海が来ていたのなら、この神社は、宮津湾を挟んで対岸にある籠神社と何らかの関係があったのかも知れない。
神社が、その土地の過去の地形や古い地名の名残となっていることがある。
神社の由来に興味を持てば、色んなことが分かってくるのかも知れない。