丹波

産土八幡神社 旧朝倉家住宅

高源寺の参拝を終え、丹波市青垣町沢野にある産土(うぶすな)八幡神社を訪れた。 高源寺参拝中は雨が降っていたが、八幡神社を訪れた時は、一時的に雨が上がった。この後天候が目まぐるしく変わることになる。 産土八幡神社鳥居 この神社は、集落の中の小さ…

西天目瑞巌山高源寺 後編

仏殿の奥の石段を登ると、方丈がある。 石段と方丈 方丈の名は、インドの維摩居士の居室が方一丈だったという故事から来ている。 方丈は、禅宗における住持の居住空間で、本堂、客殿を兼ねている。高源寺では、庫裡も兼ねているそうだ。 方丈 方丈の内部 方…

西天目瑞巌山高源寺 前編

11月27日に丹波の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、兵庫県丹波市青垣町桧倉(ひくら)にある臨済宗の寺院、西天目瑞巌山高源寺である。 高源寺 私が自宅を出た時、播磨地方は晴れていたが、丹波に入ると雨天であった。 今回で4度目の丹波史跡巡りだが…

八上城跡 後編

高城山の頂上が近づいてきた。八上城跡の主郭付近に接近する。 八上城跡は、高城山の頂上付近に、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸、右衛門丸という曲輪群を有する連郭式山城である。 八上城跡縄張図 頂上に近づくと、まず目に入るのが右衛門丸である。 右衛門…

八上城跡 前編

元々因幡国八上郡の国人であった波多野氏は、応仁の乱で戦功を上げ、丹波国多紀郡の郡代となり、丹波に進出することとなった。 波多野氏は移転先の根拠地に八上の名をつけた。出身地の因幡国八上郡の名を忘れなかったようだ。 その後、波多野秀通は、永正十…

篠山郊外の史跡

篠山の城下町の散策を終え、篠山郊外の史跡を訪れた。 先ず訪れたのは、丹波篠山市北にある曹洞宗の寺院、医王寺である。 医王寺 医王寺に祀られているのは、薬師如来である。お寺というより、お堂というくらいのささやかな建物だ。 医王寺の本堂 境内の薬師…

河原町妻入商家群

篠山の街並みの東側に、東西に古い商家群が軒を連ねる一帯がある。 丹波篠山市河原町の河原町妻入商家群である。 河原町妻入商家群 千本格子、荒格子、虫籠窓などを持った瓦葺、白壁の商家が道の両側に続く。 白壁の街並みを歩くと、江戸時代後期から明治時…

鳳鳴酒造ほろ酔い城下蔵

丹波杜氏酒造記念館から少し北に歩いた丹波篠山市呉服町に、丹波杜氏の一つ、鳳鳴酒造がある。 鳳鳴酒造 鳳鳴酒造の敷地の奥には、寛政九年(1797年)の創業当時の酒蔵である、「ほろ酔い城下蔵」が今も残っている。 ほろ酔い城下蔵 ほろ酔い城下蔵は、現在…

丹波杜氏酒造記念館

丹波の地には、現在も日本酒を醸造する職人集団、丹波杜氏(とじ)が存在する。 丹波杜氏の歴史は、江戸時代前期に遡る。篠山藩主の厳しい年貢の取り立てや、気候の厳しさによる不作から、篠山藩の領民は生活に困り、元禄年間(1688~1703年)のころから、灘…

丹波篠山市 春日神社

大正ロマン館と歴史美術館の少し北にある丹波篠山市黒岡町に、丹波篠山市を代表する神社である春日神社がある。 春日神社参道 春日神社鳥居 春日神社の創建は、貞観年間(859~877年)に大和の春日大社から、分霊が今の篠山城跡のある笹山に勧請されたことに…

大正ロマン館 丹波篠山市立歴史美術館

青山歴史村から東に歩き、丹波篠山市北新町にある大正ロマン館に行った。 大正ロマン館 大正ロマン館は、大正12年(1923年)に篠山町役場として建てられ、平成4年まで現役の役場の建物として使用された。 翌平成5年には改装され、観光案内所、土産物売り場…

青山歴史村

御徒士町武家屋敷群の見学を終えた後、篠山城跡の北側に広がる丹波篠山市北新町にある青山歴史村を訪ねた。 青山歴史村 青山歴史村には、篠山藩主青山家が明治時代に別邸として使用した桂園舎を中心に、青山家に伝わる古文書を収蔵した土蔵や、篠山藩士の教…

御徒士町武家屋敷群

篠山城跡西側の外堀に面して建つのが小林家長屋門である。 小林家長屋門 小林家は、第12代藩主青山忠裕に老女として仕えた小林千枝が住んだ家である。 小林家長屋門は、忠裕が千枝の多年の労に報いるため、文化年間(1804~1818年)に修築したものとされてい…

篠山城跡 その4

大書院の南側には、かつて二の丸御殿があったが、明治になって篠山城が廃城となった際に取り壊された。 二の丸御殿は、藩主やその奥方、家族が居住する建物だった。 二の丸御殿を立体的に復元する資料がないため、当時の間取図を基に、御殿のあった場所に平…

篠山城跡 その3

大書院の西側には、篠山城の歴史についての資料やゆかりの品を展示した史料館が建っている。史料館は当時を彷彿とさせる木造瓦葺建築である。 大書院と史料館の間取り 史料館出入口 篠山藩は、当初松平三家と呼ばれる三つの松平家が藩主を務め、その後譜代大…

篠山城跡 その2

慶長十四年(1609年)に篠山城が築城された時の篠山藩主は、松平康重である。 康重の家は三河国幡豆郡に本拠を置き、代々松井氏を称していたが、康重の父・松井康親から家康に仕えるようになった。 康重の代になって、家康から松平姓を与えられた。康重は慶…

篠山城跡 その1

9月30日に、私の住む兵庫県にも出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終了した。 ようやく史跡巡りが再開できるようになった。 今日訪れたのは、兵庫県丹波篠山市である。 最初に丹波篠山市の象徴とも言うべき、篠山城跡を訪れた。…

丹波市 新井神社

柏原八幡神社の参拝を終え、丹波市柏原町大新屋にある新井(にい)神社を訪れた。 新井神社 新井神社は、6世紀の欽明天皇の御代の創建とされている。 元の社は、ここより約500メートル奥の滝ヶ谷に祀られていたが、天正七年(1579年)の明智光秀の高見城攻…

柏原八幡神社 後編

厄除神社の前を過ぎれば、正面に三重塔が見えてくる。柏原八幡神社三重塔は、私が史跡巡りで訪れた、19番目の三重塔である。 社殿の奥の三重塔 三重塔 この三重塔は、文化十年(1813年)から同十二年(1815年)にかけて再建された。この塔の彫刻は、中井権次…

柏原八幡神社 前編

昔、兵庫県丹波市柏原町周辺は、山城国の石清水八幡宮の社領地であった。万寿元年(1024年)、この地に八幡大神(応神天皇)が勧請され、柏原八幡神社が建てられた。柏原別宮とも呼ばれた。 柏原八幡神社は、入船山という小高い丘の上にある。入船山の前の街…

柏原藩陣屋跡

追手神社の参拝を終え、丹波篠山市と丹波市の境を越え、丹波市柏原(かいばら)町に向かった。 この地は、明治まで柏原藩織田家が治めていた。この織田家は、あの信長の子孫の家である。 柏原町柏原には、柏原藩の政庁だった国指定史跡柏原藩陣屋跡がある。 …

追入神社 追手神社

高蔵寺から車を走らせ、丹波市柏原町方面に向かう。丹波篠山市と丹波市の市境の手前、丹波篠山市追入(おいれ)に、追入神社がある。 追入神社 私がこの神社を訪れたのは、「兵庫県の歴史散歩」下巻に、「追入神社に我が国最大のモミがある」という記載があ…

宝橋山高蔵寺

池尻神社を出て、兵庫県丹波篠山市高倉にある天台宗の寺院、宝橋山高蔵寺を訪れた。 高蔵寺の境内の南端には、明和七年(1771年)に建てられた山門がある。 山門 この山門にも、中井権次一統の彫刻が施されている。年代的に言うと、五代目中井丈五郎橘正忠の…

丹波篠山市 池尻神社

大國寺の参拝を終え、そこから丹波市柏原町方面に向かって車を走らせた。 大國寺では降っていた雨も上がった。途中、丹波篠山市町ノ田にある池尻神社を訪れた。 池尻神社鳥居 池尻神社は、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祭神とする。高天原…

安泰山大國寺

二村神社の参拝を終え、次は丹波篠山市味間奥にある天台宗の寺院、安泰山大國寺を訪れた。 大國寺 私が大國寺を訪れた時、雨が降り始めた。前回の丹波の史跡巡りでも雨に見舞われた。丹波は俄雨が多いようだ。 この寺は、国指定重要文化財の本堂と仏像を有し…

小野原住吉神社 二村神社

和田寺から北に行き、国道372号線に出ると東に走る。 しばらく行くと、左手に小山のようにこんもりした丘が見えてくる。兵庫県丹波篠山市今田町上小野原にある小野原住吉神社である。 小野原住吉神社のある丘 3日前の木津住吉神社の紹介記事の中で、何で航…

二老山和田寺

丹波立杭登窯から北上し、丹波篠山市下小野原にある天台宗の寺院、二老山和田寺(わでんじ)に行く。 この寺は、標高591メートルの和田寺山の麓から中腹にかけて建っている。 和田寺口の交差点から坂を上っていくと、仁王門が見えてくる。 仁王門 この仁王門…

丹波立杭登窯

兵庫県丹波篠山市今田町上立杭(かみたちくい)には、兵庫陶芸美術館や、丹波伝統工芸公園立杭陶の里といった陶芸に関する施設があるが、丹波焼の窯元も数多く軒を連ねている。 窯元のショーウィンドーの丹波焼の花入れ 丹波焼と言えば、赤っぽい土肌に緑色…

木津住吉神社 源兵衛山古窯跡

私が住む兵庫県に、新型コロナウイルス流行に伴う緊急事態宣言が発令される前の4月18日に、丹波方面の史跡巡りを行った。 これから暫くは、その時の記事を掲載する。 先ず訪れたのは、兵庫県丹波篠山市今田町木津(こつ)にある木津住吉神社である。 木津住…

旧友井家住宅 親縁寺 岩尾城跡

石龕寺のある岩尾山から下りて、車を西に走らせる。 丹波市山南町野坂に移築保存されている旧友井家住宅を訪れた。 旧友井家住宅 旧友井家住宅は、元々は山南町阿草の集落に建っていた。友井家は、慶長年間(1596~1615年)から現代まで15代続く農家で、檜皮…