高源寺の参拝を終え、丹波市青垣町沢野にある産土(うぶすな)八幡神社を訪れた。
高源寺参拝中は雨が降っていたが、八幡神社を訪れた時は、一時的に雨が上がった。この後天候が目まぐるしく変わることになる。
この神社は、集落の中の小さなお社に過ぎないが、室町時代末期に起源を持つ翁三番叟(おきなさんばんそう)という神事が行われることで知られている。
この神事は、兵庫県無形文化財に指定されており、毎年10月に行われる。
産土八幡神社の翁三番叟は、室町時代末期に村人が五穀豊穣と天下泰平を祈るために始めたと言われている。能楽式の舞である。
千歳の舞、翁の舞、父尉(ふじょう)の舞という、三つの舞がお社の前で舞われる。
最後に父尉が黒式尉の面を着けて千歳と掛け合いをし、黒式尉の舞をして終わる。
古い民間芸能の様式を残している祭儀であるらしい。
参道は短いが、歩きながら紅葉を楽しんだ。
産土八幡神社の本殿は、覆屋で守られている。
小さなお社だが、彫刻は凝ったものだった。どうやら中井権次一統のものではないらしい。江戸時代後期の建築だろう。
本殿の正面には、秋に翁三番叟が舞われる舞台がしつらえられている。
秋の夜に、ここで静かに舞われる翁三番叟を想像してみた。
さて、次に青垣町佐治にある青垣住民センターの裏にある、青垣歴史民俗資料館に赴いた。
青垣歴史民俗資料館に来た時は、また激しく雨が降って来た。本当に猫の目のように天候が変わる。
生憎資料館は閉館していた。ここには、江戸時代中期から明治時代中期までの民俗資料が収蔵されているらしい。青垣町の昔の生活用具が展示されていることだろう。
資料館の隣には、昭和47年に青垣町一ノ瀬の養蚕農家朝倉喜作の旧宅を移築した旧朝倉家住宅が建っている。この建物も閉館していて、中に入ることは出来なかった。
この建物は、北側が入母屋造、南側が切妻造という変わった造りである。
1階は、「くちの間」「おもて」「へや」の三間に分かれ、「おもて」と「へや」の間は土壁で間仕切りされている。
中2階を通じて、蚕室のある屋根裏部屋の「たか」に行く事が出来る。
切妻造の南面を見ると、屋根裏の辺りに開口部がある。ここを開けて、蚕室の採光をしていたようだ。
茅葺屋根が綺麗に整備されている。木と土と茅という自然の素材のみから造られた住宅である。
江戸時代後期には、但馬で養蚕が盛んになったが、青垣でも養蚕が行われていたようだ。
農業や養蚕というような、自然の恵みに頼った生活をしていた昔の人々にとって、自然に感謝を捧げる神社の祭礼は、現代人が考えるより遥かに切実なものだったに違いない。