追入神社 追手神社

 高蔵寺から車を走らせ、丹波市柏原町方面に向かう。丹波篠山市丹波市の市境の手前、丹波篠山市追入(おいれ)に、追入神社がある。

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追入神社

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 私がこの神社を訪れたのは、「兵庫県の歴史散歩」下巻に、「追入神社に我が国最大のモミがある」という記載があったからである。

 ところが追入神社に来てみたが、モミの木はなかった。モミの木は、隣村の追手神社にあることが後で分かった。「兵庫県の歴史散歩」下巻の記載は誤りであった。

 しかし、この追入神社、中井権次一統の彫刻が施された見事な社殿を持っていたので、番外ながら紹介する。

 境内に入り真っ直ぐ進むと拝殿があるが、拝殿向拝の虹梁上の野鳥と松の彫刻からして、中井権次一統の特徴の、端が切立ったものであった。

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拝殿

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蟇股の鳥と松の彫刻

 追入神社の祭神は、稲荷社に祀られる宇迦御魂(うかのみたま)神であるという。創建はいつか分からない。

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本殿

 本殿にも、あちらこちらに微細な彫刻が施されている。周辺の湿気が強いのか、本殿の建物には苔が生えている。

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虎と竹の彫刻

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脇障子の翼の生えた鯉の彫刻

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木鼻の獅子の彫刻

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虹梁上の龍の彫刻

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脇障子の鳳凰と仙人の彫刻

 まずまず見応えのある彫刻群であった。

 追入神社の参拝を終えて、Uターンし、丹波篠山市大山宮の追手神社を訪れる。

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追手神社

 追手神社の祭神は、山の神様の大山祇(おおやまづみ)命である。

 境内には、樹齢約350年で幹が根本から2つに分かれた夫婦イチョウと、樹齢約800年で国指定天然記念物の日本最大のモミの木がある。

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夫婦イチョウ

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 私はイチョウの木が好きなのだが、最近ネットで調べて、イチョウが恐竜の時代から唯一生き残っている樹木で、植物界の生きた化石と呼ばれていることを知った。

 イチョウは、恐竜の時代が終焉した約6600万年前から数を減らし、最後の氷河期が終わったころには、中国大陸に僅かに残るのみになった。

 その後、朝鮮半島や日本にイチョウの苗木が渡り、江戸時代には日本からヨーロッパに苗木が渡って、今や街路樹として世界中で栽培されるようになった。

 世界にあるイチョウは、人間が栽培したものばかりで、野生のイチョウは中国の山中に僅かにしか存在していない絶滅危惧種である。

 また、境内にあるモミの木は、樹齢約800年、樹高約35メートルで、モミとしては日本最大であるらしい。地元では、千年モミと呼ばれている。

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追手神社のモミ

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 樹木は、我々人類が地球上に現れるより遥か前からこの惑星上に生息している。日本列島を見ても、人間が生息する範囲より、樹木が生息する範囲の方が遥かに広い。

 我々人類が、樹木が好物とする二酸化炭素を多く輩出し、地球を暖めているおかげで、地球は益々樹木にとって住みよい環境になりつつある。

 人類が滅んだ後も、樹木は繁栄し続けることだろう。

 そう思うと、地球の主役は人間ではなくて実は樹木であるような気がする。大山祇命が祀られる神社に参拝したから、そう思ったのか。

 さて、人間がその樹木を伐って造った本殿を見学する。

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追手神社本殿

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 本殿はオーソドックスな流造である。背後の山林からの湿気が強いのか、この神社の本殿にも苔が生えている。

 追手神社本殿の彫刻も、中井権次一統が手掛けているという。

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向拝蟇股の獅子

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軒下の獅子と牡丹

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手挟みの彫刻

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脇障子の彫刻

 この追手神社の彫刻も、見応えがあった。

 さて、今日はふとこの地球の主役は人類ではなく樹木ではないかという思いを持ったが、確かにせっせと二酸化炭素を出し、植林をし続ける人類は、実は樹木の繁栄のために、樹木に利用されていると言えるのではないか。

 人類が滅んだ後も、樹木たちは悠々と地球に君臨し続けるだろう。我々はそんな樹木たちのお情けのおかげで細々と生きているだけなのかもしれない。

 そう考えると、自分が普段生きている生活が、そう大したものでもないように思えてくる。