大國寺の参拝を終え、そこから丹波市柏原町方面に向かって車を走らせた。
大國寺では降っていた雨も上がった。途中、丹波篠山市町ノ田にある池尻神社を訪れた。
池尻神社は、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を祭神とする。高天原から降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻になった神様で、系譜上は初代神武天皇の曾祖母になる。
池尻神社の社殿の彫刻は、かつて笠形神社や常勝寺の記事で紹介した、江戸時代に丹波国柏原を中心に活躍した彫物師・中井権次一統が彫っている。
石段を上れば、境内が広がり、その奥に質朴な本殿がある。本殿は、銅板葺きの流造りだが、銅板葺きの屋根の下は杮(こけら)葺きとなっている。
本殿蟇股の龍、木鼻の獏、獅子、脇障子の彫刻などが見事である。
中井権次一統の彫刻の特徴は、いらかが立った(とがった)微細な彫りにある。七代目中井権次橘正次(1822~1883年)の作品から、龍の目玉にガラス玉を嵌めるようになった。
池尻神社の龍は、目玉が木のままなので、七代目よりも前の作品だろう。
ところで池尻神社には、丹波篠山市指定無形民俗文化財の池尻神社人形狂言が伝承されている。
池尻神社の遷座100年を記念して、宝暦四年(1754年)に奉納されたのが始まりとされる。
演目は「神変応護桜」のみで、宝暦三年に徳永村の庄屋の中澤伝左衛門が台本を書いた。あらすじは、神社に立ち寄った若者(八重垣)が、八岐大蛇の人身御供になりかかった稲田姫を助けるため、八岐大蛇を退治するというものである。
神社には、じじ、ばば、禰宜、八重垣、稲田姫の五体の人形がある。人形の頭は、兵庫県指定有形民俗文化財となっている。
池尻神社の人形狂言は、古浄瑠璃の特徴を残しているという。毎年の秋祭りの際に奉納される。
境内には、その秋祭りで担ぎ出される神輿を収納する庫があった。
格子から中を見ると、布が被せられた神輿があった。神様の乗り物である神輿も、出番が来るまでここで静かに待っている。
今日紹介した中井権次一統の彫り物は、丹波を中心に、播磨、但馬、丹後の寺社に多数奉納されている。
彼らの作品は、越後の石川雲蝶の彫り物や北関東の寺社の彫刻より地味かも知れないが、見事な芸術性を持ちながら、あくまで建物の引き立て役として控え目にさりげなく彫られているところが近年評価されてきている。
今後、中井権次一統の彫り物を度々紹介することになるだろう。