私が住む兵庫県に、新型コロナウイルス流行に伴う緊急事態宣言が発令される前の4月18日に、丹波方面の史跡巡りを行った。
これから暫くは、その時の記事を掲載する。
先ず訪れたのは、兵庫県丹波篠山市今田町木津(こつ)にある木津住吉神社である。
木津住吉神社は、田んぼの中でそこだけ木々に囲まれた空間の中にある。はるか昔からのままの姿であるかのようだ。
神社の周囲には、必ずと言っていいほど鎮守の森と呼ばれる木々がある。その中に建つ神社建築の大半も木造建築なので、結局我々は神々を拝んでいるつもりで、木々を拝んでいるのかも知れない。
ジブリアニメの「となりのトトロ」や「もののけ姫」には、物語の背景として、鬱蒼とした樹林が出てくるが、案外あのようなアニメが、日本の信仰の本質を抉っているのかも知れない。
さて、住吉神社には、住吉三神と呼ばれる航海の神と神功皇后が祀られているものだが、この木津住吉神社の祭神もそうであろう。
こんな山間部に航海の神が祀られているのには由来があるのだろうが、今は分からない。
木津住吉神社は、農村の中の小さなお社に過ぎないが、この神社には、兵庫県無形民俗文化財に指定されている「木津住吉神社の田楽」が伝承されている。
古文書類は残されていないのではっきりした由来は分からないが、天明四年(1784年)にはここで田楽が行われていたという記録がある。
田楽は、平安時代中期に成立した、豊作を神に祈るために行われる楽や踊りのことである。能楽にもその要素が流れ込んでいる。
木津住吉神社の田楽には、幣(しで)かたげ、ササラ、太鼓、笛の役があり、それぞれの役の者が裃、袴、白足袋を着用して踊る。
社殿の前には、田楽を奉納する舞殿がある。木津住吉神社の田楽は、昭和37年以降断絶していたが、昭和56年に木津住吉神社田楽踊保存会が復活させた。しかし、現在は休止状態であるらしい。
舞殿の床の上の塵埃の堆積を見ても、長らく使われていない様子であった。
ここから、日本六古窯の一つ、丹波焼が制作される立杭(たちくい)地域に行く。
丹波焼の開窯は、平安時代末期である。須恵器の時代から、この地域では陶器が焼かれていたと言われている。
丹波焼の窯は、慶長年間に朝鮮半島から登り窯の技術が伝わるまで、斜面に溝を掘って造った穴窯が使われていた。
丹波篠山市今田町下立杭の山麓には、そのような古窯の跡が点在する。
兵庫県史跡となっている源兵衛山古窯跡を訪れてみたが、案内板もなく、当てずっぽうで行く事になった。
今田町東庄にある東立杭のバス停から南に歩くと、源兵衛山が見えてくる。麓の墓地の奥に溜池があり、その奥から山中に入ることが出来る。
山中に入っても、案内板も何もないので、どこに窯跡があるのか分からない。「兵庫県の歴史散歩」下巻を見ても、「窯体は近年の植林で天井が崩壊し、長さ18.5メートルのくぼみの形状を残すのみである」と書いているだけである。
溜池の奥の道から山中に入り、右に行くと、人工のものかは分からぬが、溝のようなものがある。
この溝が源兵衛山古窯跡かの確信はなかったが、地面をよく見ると、溝の中に陶片が幾つも落ちていた。
私はこれらの陶片を見つけて、ここが古窯跡であろうと見当をつけることが出来た。
粘土を焼いて固めた陶器は、年月の風化にも耐え、よく残っているものだ。
陶器よりはるかにもろい土器が発掘されるおかげで、現代人が縄文時代や弥生時代の生活を知ることが出来るように、発掘される陶器も古代や中世の声を現代に伝えてくれる。
曇った日に一人でこの山中を訪れたが、誰もいない山の中で陶片を見つけて、はるか遠くからの声を聞いたような気がした。