青山歴史村から東に歩き、丹波篠山市北新町にある大正ロマン館に行った。
大正ロマン館は、大正12年(1923年)に篠山町役場として建てられ、平成4年まで現役の役場の建物として使用された。
翌平成5年には改装され、観光案内所、土産物売り場、レストランとして利用されることとなった。
建物の中央屋根に物見櫓が設置されていて、アクセントになっている。
この建物は、篠山城跡と並んで、篠山城下の象徴となっている建物である。
私が訪れたのは、10月2日で、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴う緊急事態宣言が明けて初めての週末であった。
篠山城下は観光客で賑わっていた。大正ロマン館の中も、丁度お昼時だったためか、多くの人で賑わっていた。
天井の斜めになった格子が面白い。役場の建物としては、非常にモダンでお洒落である。
建物中央の天井を見ると、丁度物見櫓の下はステンドグラスになっていた。
建設当時は物見櫓には実際に登れたろうから、このステンドグラスは平成の改修時に備え付けられたものだろう。
建物が生まれ変わって建設当初と異なる目的に使われ、長く残ることはいいことだ。
大正ロマン館から北東に歩いた丹波篠山市呉服町に、丹波篠山市立歴史美術館がある。
この建物は、明治24年(1891年)に篠山地方裁判所として建てられ、昭和56年6月まで実際に使用されていた。
現存する木造の裁判所建物としては、日本最古のものであるらしい。
裁判所としての役割を終えた後、建物の外観と法廷は旧のままで、内部を改装して昭和57年4月に歴史美術館として開館した。
この歴史美術館には、丹波篠山市の古墳や遺跡から発掘された漢鏡などの埋蔵文化財、古丹波や藩窯王子山焼などの陶器、篠山藩に伝わった絵画や武具類などが展示されている。
いずれも名品揃いであったが、展示品はいずれも写真撮影不可であったため、写真では紹介できないのが残念だ。
特に青山家初代藩主の黒紅糸威大袖具足は、精巧に作られた美術工芸品のような鎧だった。
館内で写真撮影が自由なのは、旧法廷である。
上座に裁判官席、その前に書記官席、中央に証言台、証言台の右側に弁護人席、左側に検察官席がある。
かつてここで実際に公判廷が開かれていたわけだ。
事件には、凶悪な事件もあれば、軽微な事件もあるが、人が起こした「出来事」であることに変わりはない。
そんな人間が起こした「出来事」が、捜査機関が集めた様々な証拠資料で再構成され、法廷で俎上に上がる。
公判廷に上がった事件は、証拠により再構成された疑似現実だから、公判廷の被告人の供述や証人の証言によって、印象が変容することもある。証拠が収集された経緯も問題になったりする。
裁判官は、証拠資料と各証言を勘案して、疑似現実がどれだけ実際に起こった出来事に近接しているか判断し、判決を下す。
その責任は極めて重い。日本国内で、証拠で再構成された疑似現実が真実であったか法律上決定できる権限を持っているのは裁判官だけだ。
さて、この法廷では、裁判長の席にも座ることが出来るし、被告人が立つ証言台にも立つことが出来る。
裁判長席に座って法廷を見下ろした後、証言台に立って裁判官席を見上げてみた。
被告の気分になってみたが、実はこの法廷の中で、実際に起こった出来事を最もよく知っているのは、この被告である。
裁判官や検察官や弁護人や被告人は、立場が違えど皆人間である。そして他人同士である。
そんな他人同士が、被告人が起こした出来事によって結びつけられ、法廷に集まって出来事と被告人の人生について真剣に討議し、被告人の処分を決める。
人が人の起こした出来事を評価し、処断する。歴史学もこれと同じである。
裁判官の法服は黒いが、何色にも染まらない公正な立場を現わしているから黒いのだそうだ。
どんな場合であれ、人間と、人が起こした出来事を評価する時は、公正な目で見たいものだ。