青山歴史村

 御徒士武家屋敷群の見学を終えた後、篠山城跡の北側に広がる丹波篠山市北新町にある青山歴史村を訪ねた。

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青山歴史村

 青山歴史村には、篠山藩主青山家が明治時代に別邸として使用した桂園舎を中心に、青山家に伝わる古文書を収蔵した土蔵や、篠山藩士の教育で使用された漢籍の版木を収蔵した版木館、丹波篠山デカンショ館、篠山藩士澤井家が寄贈した長屋門で成り立っている。

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長屋門

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長屋門の屋根裏

 青山歴史村は、昭和62年に青山家の財産を管理する財団法人青山会が、青山家ゆかりの文化財を展示保管するために開館したが、平成10年に青山会が全財産を篠山市に寄付し、今は丹波篠山市が管理運営している。

 長屋門は、篠山藩士澤井家の屋敷にあったもので、文化年間(1804~1818年)に建設されたものと言われている。

 茅葺、入母屋造で、昭和32年にこの地に移築された。 

 この長屋門を潜って青山歴史村に入っていく。

 敷地に入ってまず目を惹くのは、篠山藩が使った石造の金櫃(金庫)である。

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金櫃

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 この金櫃は、藩内の金融取引が行われていた掛所の土蔵の床下に置かれていたものだという。

 金貨銀貨がこの櫃に入れられていたことだろう。金櫃は、花崗岩製で、蓋石は6枚並ぶようになっていた。丹波篠山市指定文化財である。

 その隣には、青山家の家紋である無紋銭が刻まれた鬼瓦が置かれている。

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無紋銭の鬼瓦

 この家紋の由来はこうである。

 ある時、青山家の庭に無紋銭を上に載せた筍が生えてきた。あまりに不思議であったため、この筍が生長した後に伐って馬印に使ったところ、出陣ごとに功績が上がったので、無紋銭を家紋にしたという。

 次に版木館を覗いてみる。

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版木館

 篠山藩青山家は、藩士の教育に力を入れ、藩校振徳堂で藩士漢籍国史を学ばせた。

 それらの書物の印刷に使うため、桜の木を素材とした版木が作られた。

 青山歴史村には、1200枚以上の版木が収蔵されており、一部がこの版木館で展示されている。

 版木館の内部は撮影禁止であったので、写真で紹介できないが、青山家が学問と文化に賭けた熱意を知ることができた。

 またここから北に車で10分ほどの距離にある兵庫県立篠山鳳鳴高等学校には、青山家から寄付された同家所蔵の漢籍、近世小説、歴史書等約1万冊を収蔵する青山文庫がある。

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兵庫県立篠山鳳鳴高等学校正門

 事前に申し込めば、文庫所蔵の書籍を閲覧できるようだが、私が訪れたのは土曜日であったため、見学はしなかった。

 青山歴史村の中心にある桂園舎は、黒田村にあった庄屋の家を、明治20年にこの地に移築したものである。

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桂園舎

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 江戸時代後期の歌人・香川景樹が興した和歌の一派が、桂園派と呼ばれている。桂園とは、香川景樹の号である。

 賀茂真淵が「万葉集」を重視したのに対し、香川景樹は「古今和歌集」を重視した。

 桂園派は、畿内を中心に流行し、「古今和歌集」のような平易で古風な和歌を作った。

 初代篠山町長の安藤直紀が桂園派の撰者となり、この建物を拠点に篠山の有識者が桂園派の和歌を学んでいたことから、桂園舎と呼ばれるようになったという。

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桂園舎の土間

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土間の上の梁と屋根

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玄関からの眺め

 桂園舎は、青山家の別邸として使用されていた。ということは、明治の青山家も桂園派に与していたのだろう。

 桂園派は、明治時代にも命脈を保っていたが、古風な和歌を嫌った正岡子規や、ロマン主義的な明星派に排撃され、明治後期には廃れてしまった。

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座敷

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 桂園舎は、元々庄屋の家だったが、藩主の別邸となり、和歌の催しが行われただけあって、どことなく閑雅な雰囲気を持っている。

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北側から見た桂園舎

 桂園舎の北側には、庭園があり、庭木に囲まれて土蔵が2つある。

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土蔵

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 土蔵には、青山家が受け継いできた古文書が大切に保管されている。

 青山家の私的な書籍は篠山鳳鳴高等学校の青山文庫に収められ、藩政に関する資料はここに収蔵されているようだ。

 藩主の財産を今は丹波篠山市が管理している。かつての藩主の財産が、今は市民のものになったわけだ。

 しかし、青山家の文化に対する志の高さには、後世の我々が学ぶべきところが多々あるように思える。