丹波立杭登窯

 兵庫県丹波篠山市今田町上立杭(かみたちくい)には、兵庫陶芸美術館や、丹波伝統工芸公園立杭陶の里といった陶芸に関する施設があるが、丹波焼の窯元も数多く軒を連ねている。

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窯元のショーウィンドーの丹波焼の花入れ

 丹波焼と言えば、赤っぽい土肌に緑色の灰釉がかかった甕や壷などが思い浮かぶが、そのような器は中世によく焼かれたもので、江戸時代以降は、釉薬を用いた器も多く作られるようになった。

 丹波焼立杭焼丹波立杭焼とも呼ばれる)は、当初は山の斜面に溝を掘って窯にした穴窯で焼かれていたが、慶長年間(1596~1615年)に朝鮮半島から登窯の技術が伝わると、燃焼効率が良くなり、日常雑器類を短期間に大量に作ることが出来るようになった。

 上立杭には、立杭に存在する登窯の中では最も古い丹波立杭登窯がある。登窯の古式を残しているため、兵庫県指定民俗文化財にも指定されている。

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丹波立杭登窯

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 この窯は、明治28年(1895年)に作られたもので、125年以上経た現在も現役で使われ続けている。

 全長は約47メートルで、9室の焼成室を備えている。

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焼成

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焼成室の内部

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 焼成室の内、1室だけ内部を覗くことが出来た。この中に作品を入れて、炎で焼しめるわけだ。

 丹波立杭登窯は、阪神淡路大震災で傷みが激しくなったため、平成26年から古来の作成方法で修復された。

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丹波焼登窯の説明

 割った竹を半円状に曲げて、その上に「まくら」と呼ばれる日干しレンガを積んでアーチ状の窯を作っていく。

 登窯は、山の斜面などを利用して築かれる。最下部の「ひどころ」から着火して、上昇した空気が「はちの巣」と呼ばれる最上部の穴から煙と炎と共に抜けていく。

 窯の側面にある穴から薪を入れて、温度を下げないように工夫する。

 熱を帯びた空気と炎が上昇する原理により、長い登窯全体に炎が行き渡り、内部の陶器が焼けていく。

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ひどころ

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はちの巣

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焼成の状況

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炎を吹き出すはちの巣

 この窯では、毎年昼夜を徹した焼成が行われており、一般人も作品を持ち込んで焼いてもらえる。またその様子を見学できる。

 私は登窯での焼成作業を見たことがないが、焼成時の写真を見ただけでも、陶芸は炎の芸術という言葉の意味が分かる気がする。

 日本の茶道では、素朴で表面がいびつな陶器が珍重されるが、中国やヨーロッパでは、形の均整が取れた、繊細な絵付けが描かれた磁器がもてはやされる。

 私は野仏(のぼとけ)という言葉が何となく好きだが、陶芸にしろ茶室にしろ、この「野」という鄙びた雰囲気を高度な芸術にまで高めたところが、世界の他の国にはない日本の美術の特徴なのではないか。

 さてこの丹波立杭登窯から北にしばらく歩くと、兵庫県天然記念物の上立杭の大アベマキがある。

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上立杭の大アベマキ

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 樹高28メートル、幹回り5.4メートルで、アベマキとしては国内最大の巨木であるらしい。地域の神木として大事にされている。

 私は、幹がごつごつして枝が四方に伸びた古木が好きなのだが、磁器よりも陶器が好きな日本の茶人の感性も似たようなものだろうか。

 私は昔から田舎で過ごしてきたので、近くに山や野のない生活というのは、味気ない生活だと感じる。

 自然の豊かさを感じながら生きるというのは、最も贅沢な生き方ではないかと思う。