柏原八幡神社の参拝を終え、丹波市柏原町大新屋にある新井(にい)神社を訪れた。
新井神社は、6世紀の欽明天皇の御代の創建とされている。
元の社は、ここより約500メートル奥の滝ヶ谷に祀られていたが、天正七年(1579年)の明智光秀の高見城攻めの際に焼失し、現在地に再建された。
元の祭神は、高皇産霊(たかみむすび)神であったが、寛文年間(1661~1673年)に比叡山延暦寺の守護神である日吉大社の山王権現の分霊が祀られた。
新井神社の神宮寺であった天台宗鎮護寺の縁で勧請されたようだ。
現在の本殿は、建築様式から、江戸時代初期から中期にかけての建設とされている。
鳥居の礎石には、元禄十六年(1703年)の銘がある。
本殿が再建されたころに、この鳥居も建てられたのだろうか。
鳥居を潜り、境内に入ると、左手に幹が三つに分かれた杉がある。
この三本杉の根元を跨ぐと、子宝に恵まれると言われている。それにしても、三又に分かれる杉は珍しい。
本殿は茅葺の入母屋造である。
日本各地の神社の社殿も、元はほとんどが茅葺屋根だったと思われるが、手入れが大変なため、近年になって銅板葺きや瓦葺きに変更されているものが多い。
新井神社の本殿は、再建時そのままの姿を留めているものと思われる。
そのためか、本殿の正面には、一対の猿の木彫り像が置かれている。
この猿の像は、中井権次一統6代目の、中井権次正貞の作と伝えられている。なかなか漫画的で面白い像だ。ひょっとしたら、柏原八幡神社三重塔の力士像も、権次正貞の作なのではないか。
本殿の脇障子や手挟みの彫刻も、中井権次の作だろう。
手挟みに彫られているのは龍だが、手挟みに龍が彫られているのは初めて見た。
また、新井神社では、毎年10月第二月曜日の前々日に、新法師(しんぼち)踊りという祭礼が行われている。
僧形の新法師頭を取り囲んで、菅編み笠をかぶる十数人の踊り手が、囃子方と音頭取りの歌に合わせて踊るという。
歌詞が永正十五年(1518年)に成立した室町小唄の歌謡集「閑吟集」などから取られているので、発祥は室町時代と言われている。
法師を囲んで踊るなど、全くもって仏教的な祭礼である。丹波の地には、中世の名残が色濃く残っている気がする。
新井神社の参拝を終えて、達身寺へと向かったが、雨がひどく降って来たので、諦めて家路についた。
次の丹波の史跡巡りも楽しみである。