2025-01-01から1年間の記事一覧
兜麓底績碑の前から立ち去り、廣田神社境内に進んだ。 境内を歩く 廣田神社境内は、私の父が子供の頃遊んでいた場所だ。 廣田神社は、「延喜式」で定める二十二の名神大社の内の一社である。平安時代初期には、全国有数の神社となっていた。 明治4年には、…
1月19日に兵庫県西宮市の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、西宮市大社町にある廣田神社である。 廣田神社 廣田神社の祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめのおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)である。皇祖神天照大御神の荒ぶる御魂である。 …
丹波国府は、未だに発掘されていないが、丹波国府推定地として、今のところ亀岡市千代川町説と南丹市八木町屋賀説の二説がある。 平安時代の承安四年(1174年)十月二十日に書かれた「丹波国吉富庄絵図」の江戸時代初期の写本には、現在の南丹市八木町屋賀の…
八木城跡から下山して、南丹市八木町八木西山にある臨済宗の寺院、龍興寺に赴いた。 龍興寺 龍興寺は、享徳元年(1452年)に、室町幕府の管領細川勝元が妙心寺第五世義天玄昭を招いて建立した寺院である。 安土桃山時代の天正年間(1573~1593年)には、子院…
かえる岩を過ぎて更に山道を登っていくと、平坦な馬場に至った。 ここから西に行けば二ノ丸跡があり、東に行けば本丸跡がある。 馬場 私は先ず二ノ丸跡に向かった。二ノ丸跡は、家臣内藤和泉の屋敷跡でもあった。 二ノ丸跡は、西側の先端部がコの字型の土塁…
安楽寺の見学を終えて、南丹市八木町八木内山にある八木城跡に赴いた。 八木城跡は、兵庫県丹波市の黒井城跡、兵庫県丹波篠山市の八上城跡と並んで、丹波三大山城と言われている。 八木城跡は、標高約330メートルの城山上にある戦国山城の跡である。 城山 八…
如城寺の参拝を終えて、次なる目的地、南丹市八木町氷所(ひどころ)中谷山にある幡日佐(はたひさ)神社に赴いた。 幡日佐神社 かつて、神社の裏山の峠を越えた神吉下村には、朝廷に献上する氷を貯蔵した氷室があったという。社伝によると、その地には氷室…
清源寺の見学を終えて、京都府南丹市八木町室橋山田にある文覚(もんがく)池に赴いた。 文覚池 文覚池は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた真言宗の僧侶、文覚上人が開削した溜池である。 文覚上人は、武家出身の僧侶で、俗名を遠藤盛遠といった…
京都帝釈天の参拝を終えて、次に京都府南丹市八木町諸畑にある曹洞宗の寺院、金龍山清源寺を訪れた。 金龍山清源寺 清源寺は寛徳二年(1045年)に天台宗の寺院として創建されたが、応仁の乱で焼失した後、文明十三年(1481年)に正天重益という僧侶が再興し…
船井神社のある船枝の集落の北側に、志雲山という山がある。 この山中に、帝釈天(たいしゃくてん)を祀る紫雲山帝釈天がある。通称京都帝釈天と呼ばれている。 帝釈天を祀る帝釈天堂は、今は志雲山の麓にある曹洞宗の寺院、医王山福寿寺が管理している。 福…
西光寺の参拝を終えて北上し、南丹市八木町船枝才ノ上にある船井神社に赴いた。 船井神社 船井神社は、「延喜式」神名帳にも記載のある古社である。 祭神は、住吉神(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命)と春日神(武甕槌神、経津主神、天児屋根命、比売神…
徳雲寺の見学を終えて、京都府南丹市八木町美里中石谷にある荒井神社を訪れた。 荒井神社鳥居 扁額 荒井神社の創建は、はっきりしない。六国史の一つ、「日本三代実録」の元慶六年(882年)十月九日の条に、丹波国荒井神の記載があると言う。とすればこの神…
普済寺の参拝を終え、次に京都府南丹市園部町小山東町塩田谷にある曹洞宗の寺院、塩田山徳雲寺を訪れた。 塩田山徳雲寺 この寺は、至徳二年(1385年)に在地の土豪荘林氏が創建したと言われている。 江戸時代には、園部藩主小出氏の菩提寺となった。 徳雲寺 …
本堂の裏手の階段を降りると、道路を挟んで建つ観音堂が見える。 観音堂の門 観音堂は、延文二年(1357年)の建立である。別名仏堂という。国指定重要文化財である。 観音堂 観音堂の建築様式は、禅宗様建築と言われている。鎌倉時代に宋から禅宗と共に伝わ…
1月5日に丹波の史跡巡りを行った。 今回は、京都府南丹市の史跡を巡った。 最初に訪れたのは、南丹市園部町若森庄気谷にある曹洞宗の寺院、大慈山普済寺である。 普済寺を囲む森 普済寺は、平安時代に天台宗の寺院として開創されたという。 貞和二年(1346…
緑山古墳群の見学を終え、次に総社市三須にある作山古墳を訪れた。 作山古墳は、全長約282メートルで、全国10位の大きさを誇る古墳である。 以前紹介した岡山市北区新庄下にある全国4位の造山古墳と名前が似ているので混同されやすい。 作山古墳全景 造山古…
伝備中国府跡から南下し、総社市上林にある緑山古墳群を訪れた。 緑山古墳群は、6世紀中頃から後半にかけて造られた古墳群である。緑山という丘陵上にある。 緑山への登り口 緑山には、丘陵の南東にある階段から登ることが出来る。 階段を登ると墓地がある…
岩屋寺の参拝を終えて、岡山県総社市南溝手にある総社市埋蔵文化財学習の館に赴いた。 総社市埋蔵文化財学習の館 ここは、総社市内の遺跡からの出土品の保管、展示を行っており、鬼ノ城に関する資料も展示されている。 土器作りの体験なども出来るようだ。 …
鯉岩を過ぎて遊歩道を歩いていくと、八畳岩という巨岩がある。 その名の通り、八畳の広さはあろうかと思われる平らで広い岩である。 八畳岩 花崗岩は、風化しやすい岩である。数百年後にここを訪れたら、八畳岩はまた違った形になっているだろう。 遊歩道を…
岩屋寺観音堂のすぐ隣には、花崗岩の巨岩群がある。 伝説の鬼・温羅(うら)が差し上げた、鬼の差し上げ岩と呼ばれる巨岩群である。 鬼の差し上げ岩 鬼の差し上げ岩には、恵鎧上人と刻まれた石仏や、不動明王の摩崖仏を祀った祠がある。 恵鎧上人像 鬼の差し…
鬼ノ城の見学を終えて、鬼城山ビジターセンターから狭い舗装路を北に走ると、総社市奥坂の集落がある。 集落の奥に駐車場がある。岩屋休憩所というハイキングコースの休憩所の駐車場である。 この駐車場に、奥坂にある真言宗の寺院、岩屋寺を巡る散歩道の案…
城壁跡を巡る遊歩道から、城郭の内部を巡る遊歩道に入る。 城内には、管理棟や倉庫といった建物があったようだ。 建物の配置図 鬼ノ城には、建物の礎石が残っている箇所が7か所ある。 その内、建物5,6は、6間×2間の横長の建物で、周囲からは須恵器の硯…
第5水門から東に歩くと、鬼ノ城に残る高石垣の中で最も著名な屏風折れの高石垣が見えてくる。 屏風折れとは、折れた屏風を上から見たように突出した地形から付いた名だろう。 上空から見た屏風折れの高石垣 屛風折れの高石垣に近づくと、天然の断崖上に石垣…
石切観音のある場所から更に北に歩くと、第4水門がある。 ここも水門を形成する石塁が藪に覆われて見えなくなっている。 今も水門から水が流れ出ている。 第4水門 第4水門から流れ出す水 ここから進むと、東門跡がある。 東門跡 東門は、間口一間(約3.3…
第1水門、第2水門から東に歩くと、南門跡が見えてくる。 南門跡 南門は、間口三間(約12.3メートル)、奥行き二間(約8.2メートル)の規模を持ち、一辺約55センチメートルの角柱12本で上屋を支える大型の城門であった。 門の入口に2メートル近い段差を設…
西門から反時計回りに鬼ノ城の遊歩道を一周することにした。 西門の南側には、復元された城壁が続いている。 西門南側の城壁 鬼ノ城は、山頂付近を鉢巻のように城壁で囲んでいるが、降雨により山頂部に溜まった水を排水する必要があった。 城内に溜池もあっ…
展望デッキから歩いて復元された角楼(かくろう)と西門に近づく。 先ず見えてくるのは、角楼である。 鬼ノ城には、西側からが最も接近しやすい。そのため、西側に最大の門を備え、角楼を備えたのだろう。 角楼 角楼の下部には、立派な石垣が積まれ、その上…
鬼の釜から北上するとすぐに鬼城山ビジターセンターがある。 鬼城山上には、古代山城である鬼ノ城(きのじょう)がある。 鬼ノ城は、私が史跡巡りで訪れた9番目の日本100名城である。続日本100名城を足した200名城としては、15番目に訪れた城である。日本20…
12月21日に備中の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、岡山県総社市黒尾にある、新山廃寺である。 総社市黒尾には、日本百名城の一つ、鬼ノ城(きのじょう)があるが、新山廃寺は、鬼ノ城の手前の新山にあった山岳寺院の跡である。 新山の麓には、総社市指…
細川ガラシャ夫人像の視線の先、大手川ふれあい広場の東側には、大手川が流れている。 この大手川から東側は、天正八年(1580年)に細川藤孝、忠興父子が築城した宮津城があった場所である。 大手川右岸沿いには、当時の城を偲ぶよすがとするためか、城壁風…