教目山如城寺

 清源寺の見学を終えて、京都府南丹市八木町室橋山田にある文覚(もんがく)池に赴いた。

文覚池

 文覚池は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて生きた真言宗の僧侶、文覚上人が開削した溜池である。

 文覚上人は、武家出身の僧侶で、俗名を遠藤盛遠といった。院の警護をする北面武士であったが、同僚の渡辺渡の妻袈裟御前に横恋慕した。

 袈裟御前は、夫のある身と言って盛遠を拒み続けたが、豪勇粗暴な盛遠にいずれ夫を殺害されると危惧して一計を案じた。

文覚ふれあい公園

 袈裟御前は、盛遠に、「夫の渡を殺してから一緒になって下さい」と依頼した。狂喜した盛遠は、袈裟御前との打ち合わせ通り、深酒をして寝ている渡の寝所に入り込んで渡の首を掻いた。

 だが盛遠が刺殺した相手は、渡に扮した袈裟御前であった。袈裟御前は夫を守るため、わざと盛遠が自分を殺害するように差し向けたのである。 

 袈裟御前を我が手で殺した盛遠は、渡にこれまでの経緯を打ち明けて、自分を手打ちにするよう頼んだが、渡は無常を感じて盛遠を殺さずに出家した。盛遠も出家して僧侶となった。これが文覚上人である。

文覚池の由来を刻んだ碑

 その後の文覚は、日本中の霊山を訪れ、密教や修験の凄まじい修行を行った。その荒行の結果、念力で飛ぶ鳥を落とし、波風を一喝して鎮めるような一種の超能力者になった。

 そんな文覚は、天狗を祀り邪法を操る危険人物とされ、承安三年(1173年)に伊豆に流された。

 伊豆で源頼朝と出会った文覚は、頼朝に、頼朝の父の義朝のものと称する髑髏を見せて、挙兵を促した。

 頼朝が天下を取った後の文覚上人は、頼朝の帰依を得て、数多くの荘園の寄進を受け、高尾山神護寺や東寺を再興した。

 この文覚池は、寺領を見回りに来た文覚が、住民が水不足に苦しんでいるのを見て、自ら陣頭指揮を執って村人と共に造った溜池である。住民は完成したこの池を文覚池と名付けた。

文覚池に飛来したコウノトリ

 文覚池は、このような来歴を持つ溜池であるが、国の特別天然記念物であるコウノトリの飛来地になっている。

 私が訪れた時も、二羽のコウノトリが訪れて羽を休めていた。

 人工繁殖をしている場所ではなく、このような自然の中でコウノトリを目にすることが出来たことに喜びを感じた。

 文覚池から東に行くと、南丹市八木町野条北条の田の中に、巴(ともえ)御前の墓とされる巴塚がある。

巴塚

 巴御前は、源(木曽)義仲の愛妾である。

 寿永二年(1183年)、源氏の先鋒として京に入った義仲は、平家を西に追い落とした。

 だが義仲と不和となった後白河法皇は、頼朝に入京を促した。源範頼源義経の率いる頼朝軍に敗れた義仲は、近江国粟津で討ち死にした。

巴塚

 義仲は敗走する時に、愛妾の巴御前に念持仏の阿弥陀如来像を託した。

 巴御前は乳母少将御前に命じ、この地に草庵を建てて阿弥陀如来像を祀り、義仲の菩提を弔ったという。

 義仲の死後、巴御前も捕らわれて鎌倉に送られたが、その後尼になってこの地に来て、義仲の菩提を弔いつつ亡くなったという。

巴塚

 巴塚は、その巴御前の墓とされている。

 巴御前は、「平家物語」や「源平盛衰記」では、鎧兜を着け、馬に乗り、薙刀を持って義仲と共に戦った女大将として描かれているが、これら軍記物語にしか登場しないので、歴史上実在の人物であるかどうかは分からない。

 巴塚の北西、南丹市八木町室橋には、臨済宗の寺院、教目山如城寺がある。

教目山如城寺

如城寺本堂

 文化十年(1813年)三月付の「如城寺縁起」によれば、この寺こそが、巴御前が乳母少将御前に命じて、義仲の念持仏の阿弥陀如来像を祀らせた草庵の後とされている。

 寺伝によれば、巴御前は建保三年(1215年)に89歳でこの地で示寂したという。

 義仲が死んでから600年以上経ってから書かれた寺の縁起の記述なので、これが事実なのかどうかは分からない。

 ただ、昔からこの寺に義仲の念持仏が祀られているという言い伝えはあったのだろう。

本堂

 また、「巴寺女将寺縁起」には、如城寺が正治元年(1199年)六月に開創されたと書いてあるそうだ。

 江戸時代中期に、臨済宗妙心寺派の僧寂潭が寺を中興し、寛政十年(1799年)には僧天慶が寺域を拡張した。

 本尊の阿弥陀如来立像は、鎌倉時代初期の作で、寄木造りであるそうだ。

本堂に祀られる木曽義仲巴御前の位牌

 巴御前が実在したかどうかは分からぬが、義仲の従者であった女性が、義仲の死後にこの地を訪れ、この地で義仲の菩提を弔ったということはあり得る話だ。

 巴塚も、巴御前の墓というより、その無名の女性(にょしょう)の墓である可能性が高いのではないか。

 私は、勇ましい女大将巴御前がこの地を訪れて亡くなったという伝説より、義仲に従った無名の女性が、この地で静かに義仲の菩提を弔って亡くなったというストーリーの方に、より歴史のロマンを感じる。