本堂の裏手の階段を降りると、道路を挟んで建つ観音堂が見える。

観音堂は、延文二年(1357年)の建立である。別名仏堂という。国指定重要文化財である。

観音堂の建築様式は、禅宗様建築と言われている。鎌倉時代に宋から禅宗と共に伝わった様式である。
軒先が曲線を描き、隅で大きく反りあがるのが特徴である。

観音堂の屋根は、昭和7年まで茅葺だったそうだ。同年の解体修理で、創建当時は檜皮葺、瓦棟と判明した。
そのため、創建時の姿に戻されたという。延文二年に建っていた観音堂も、これと同じ姿をしていたわけだ。


窓は華頭窓である。柱の上に二手先まで組まれた組物があるが、柱上の組物の間にも同じ組物がある。詰組と言われるものである。
欄間は、波型の連子を嵌め込んだ弓欄間である。


柱と礎石の間には、礎盤という装飾された木材が挟まれている。
小さいながら隅々まで拘った名建築と言っていいだろう。
堂内には、宮殿がある。本尊の聖観音を祀っていると思われる。

普済寺には、その他に京都府指定文化財の鰐口がある。鋳銅製で外縁に銘文がある。
宝徳元年(1449年)十一月二日に、園部村の鋳物師五郎兵衛宗次が丹波国船井郡野口庄本免方の薮田神社のために製作したと刻まれている。
薮田神社は、今でも普済寺のすぐ近くに建っている。
境内には、曹洞宗の寺院なのに、弘法大師空海が祀られた大師堂がある。


弘法大師信仰は、宗派を越えて広がっている。弘法大師空海は、日本仏教のヒーローであった。



その時代の建築家が力を尽くして建てた建築物は、時代を越えて残る。普済寺の観音堂もそういった建物の一つである。
建築物のような、物理的な形として残るものだけでなく、日々の小さな仕事も、手を抜かずに丁寧に行えば、時代を越えて語り継がれるものになる可能性がある。
その気になれば、誰もが自分がする仕事を、時代を越えて残るような仕事にすることが可能なのである。