西光寺の参拝を終えて北上し、南丹市八木町船枝才ノ上にある船井神社に赴いた。
祭神は、住吉神(底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命)と春日神(武甕槌神、経津主神、天児屋根命、比売神)である。
住吉明神は、神功皇后の三韓征伐の際に、皇后の艦隊の航海を安全ならしめた神で、航海の神である。
船井神社は、かつては現在地より約500メートル北西の大堰川の河畔にあった。
その場所は、舟運の舟の停泊地であった。恐らく、大堰川の舟の運航の安全を祈願するために勧請されたのだろう。
大堰川の氾濫により、慶雲二年(705年)に現在地に遷座したと伝えられる。
拝殿には、絵馬が多数掲げられている。古いものは、宝永七年(1710年)のものがあった。
また、拝殿には金網に覆われた馬の彫刻があった。
この彫刻は、江戸時代前期の彫刻家左甚五郎の作と言われている。
昔、この馬が首に鈴を着けた状態で夜中に額を抜け出して、近くの池に水を飲みに来るので、村人は鈴の音のうるさいことに困った。
村人は相談して、額から抜け出せないように金網を張ったのだという。
ちょっとほほえましい話だ。
保安元年(1120年)には、丹波国司藤原家保により、大和の春日大社から春日明神が勧請された。
天保六年(1835年)に今の本殿が再建された。
本殿の彫刻は、中井権次一統の作と思われるが、中井権次のガイドマップには載っていないので、確証はない。
いずれにしろ、見事な彫刻群である。
これが中井権次一統の彫刻だとしたら、年代的に六代目中井権次橘正貞の作だろう。
まさに名工の作というに相応しい。
時代の変遷で、大堰川の舟運はなくなったが、船井神社の祭神は、今もこの見事な彫刻の本殿に祀られて、付近の村々を見守っておられるようだ。