西門から反時計回りに鬼ノ城の遊歩道を一周することにした。
西門の南側には、復元された城壁が続いている。
鬼ノ城は、山頂付近を鉢巻のように城壁で囲んでいるが、降雨により山頂部に溜まった水を排水する必要があった。
城内に溜池もあったが、水を水門によって城壁の外に排水しなければ、無秩序に溢れ出して城壁を損なうおそれがあった。
鬼ノ城は、南側が低くなっているため、水門は南側に6つ設けられた。即ち第0水門から第5水門までの水門である。
受水範囲の狭い第0水門と第1水門は、石垣の底から排水したが、他の水門は石垣の上から排水した。
西門から城壁沿いに南に歩くと、すぐ第0水門がある。
そして驚くべきことに、第0水門には水が流れていた。城が廃された後、1300年は経過しているだろうが、水門はまだ機能していたのである。
西門南側の城壁の内側には、見事な敷石が続いている。
この敷石は、発掘されたままのものだろう。つまり、7世紀の敷石そのままであろう。
ひょっとしたらこの敷石は、現存する日本最古の石畳かも知れない。
この敷石は、やや内側に傾斜している。城壁上に降った雨水が、土で造られた城壁を壊すのを防ぐために施工されたと言われている。
日本の古代山城で敷石があるのは鬼ノ城だけで、朝鮮半島でも数例しか知られていないという。
ここから歩いていくと、また城壁内側の列石があった。
この列石の外側に城壁があったのだろうが、今は消滅してしまっている。
この列石の先に、第1水門と第2水門を見学できる場所がある。
基本的に鬼ノ城の城壁は土塁であるが、水門のあるところは、水流に耐えるられるように石塁で造られている。
第1水門は、石塁の下に排水口がある。その先には溝があり、そこから斜面の下にまで溝が続いている。
第1水門と第2水門の石塁の間には、土塁が残っている。
この土塁は、復元されたものでなく、築城当時に版築工法により造られた土塁だろう。
上から突き固められたのがよく分かるほど、土の密度が高い。
第2水門は、石塁の上にある。
第2水門からも、水が流れ続けていた。現役の土木施設である。
第2水門の石塁の上には、僅かに土塁が残っていた。
年月と共に土塁は崩れて、その上に植物が繁茂している。
しかしこの石塁は、建築当時のものであろう。日本最古級の石垣である。
私は、第2水門から東に歩き、南門を目指した。