如城寺の参拝を終えて、次なる目的地、南丹市八木町氷所(ひどころ)中谷山にある幡日佐(はたひさ)神社に赴いた。

かつて、神社の裏山の峠を越えた神吉下村には、朝廷に献上する氷を貯蔵した氷室があったという。社伝によると、その地には氷室大明神が鎮座していた。
時期は明らかではないが、その氷室大明神の分祠を現境内の南にある故地に建てたのが、当社の創建という。
当初は氷所大明神と称した。

和銅年間(708~715年)に、近在の美濃田村にある幡谷山に、八流の幡が天から下り、そのうちの一流が氷所大明神の境内樹にかかって金色の光を放った。
これを機に、以後は社名を「幡日佐」に改めたという。
天正十九年(1591年)に社殿を故地から現在地に遷した。
幡日佐神社の祭神は品陀和気命(応神天皇)であったが、寛文九年(1669年)に、戦国時代に焼亡していた神吉下村の氷室大明神を合祀した。
扁額には、幡日佐氷室両神社と書かれている。


鳥居を潜り、境内に入ると正面に拝殿がある。
拝殿には絵馬が掛けられている。その中に、「征獨凱旋記念 大正四年」「第二艦隊旗艦乗員」と書かれた額に入れられた軍艦と兵士の写真があった。

大正3年に発生した第一次世界大戦で、当時ドイツ領だった山東半島青島を日本が攻撃した際に、青島を包囲した海軍第二艦隊の旗艦であった戦艦周防に乗艦して戦った記念の額であろう。
戦艦周防は、日露戦争で日本が鹵獲したロシアの戦艦を日本で再就役させた艦である。

本殿に近づいた。本殿の前には、陶器製の狛犬がある。


氷室大明神は、氷室の神様である。かつてこの辺りに、宮廷に献上する氷室があったことを今に伝える神社である。

静かに手を合わせて社頭を立ち去った。
幡日佐神社から南下し、南丹市八木町北屋賀国府にある浄土真宗の寺院、宝樹山安楽寺を訪れた。

安楽寺は、文明二年(1470年)に真言宗の寺院として開創されたが、元和五年(1619年)に浄土真宗に改宗した。



本堂には、木造薬師如来坐像、木造四天王立像が安置されている。


安楽寺の境内南西角には、明治4年に園部城から移築された太鼓楼がある。

太鼓楼下層は、二間半の方形の一室で、軒下まで白漆喰が塗り込まれ、その下は腰板張りである。

上層は一間半の方形で、四方とも板戸引き違いの造りとなっている。
亀山城にあったと言われる大きな太鼓が掛けられているという。

又軒丸瓦には、園部藩主小出家を表す「小」の字が陽刻されている。

安楽寺太鼓楼は、かつての園部城を偲ぶことが出来る遺構の一つである。


明治時代に数多くの城が廃城となったが、その遺構の一部が、城下の寺院に移築されたというのは、全国各地で見られた現象である。
住民から見たら、犯すべからざる権威の象徴であった城郭も、時代の変遷と共に解体された。
時の経過は、どんな権威あるものも飲み込んでいくものである。