鬼ノ城の見学を終えて、鬼城山ビジターセンターから狭い舗装路を北に走ると、総社市奥坂の集落がある。
集落の奥に駐車場がある。岩屋休憩所というハイキングコースの休憩所の駐車場である。
この駐車場に、奥坂にある真言宗の寺院、岩屋寺を巡る散歩道の案内板があった。
岩屋寺は、8世紀に、文武天皇の皇子で出家して善通大師と呼ばれた僧侶が開山したとされる山岳寺院である。
平安時代には、新山寺と並んでこの地域の山岳霊場として繁栄したそうだ。
駐車場に車をとめて、岩屋寺に向かって歩き始めた。
歩き始めてすぐに、お堂と地神と刻まれた碑があった。
これは地神塔と呼ばれているもので、西日本では岡山県や徳島県、香川県などによく建てられているものである。
土地の神様を祀ったものだ。
この場所から岩屋寺への道の途中に、石仏があった。
これらの石仏は、近世以降のものであろう。
しばらく歩くと、正面に立派な石垣と石段が見えてきた。
岩屋寺の本堂の石垣と石段である。
石段を登って本堂の前に立ったが、明らかに無住の寺である。
近くの別の寺院が管理していることだろう。
境内には、「戦死供養石垣寄附」と刻まれた碑がある。裏を見ると、明治三十八年三月二日と刻まれている。
先ほどの立派な石垣は、どうやら地元の人が、日露戦争で戦死した村からの出征者を供養するために奉納したものらしい。
このような無人の寺にも、地元の歴史の痕は残っている。
本堂から左に歩いていくと、長い石段が現れる。
旧坊から残存する唯一のお堂である観音堂に至る石段である。
石段を登りきると、ささやかなお堂がある。観音堂である。
暗いが奥に厨子のようなものが見える。ここに本尊の観音菩薩像を安置しているのだろう。
岩屋寺は、かつて多くの修験者や僧侶が修行した寺院だが、今はその栄華の跡は残されていない。
しかし私には、むしろこのような静けさの中に残るささやかな観音堂こそが、山岳宗教の本質を伝えているように思えた。