備中 吉備津神社 後編

 吉備津えびす宮から回廊を南に歩くと、西面して鳥居が建ち、吉備の中山に向かって石段が伸びている場所に出る。

 ここを登ると、岩山宮がある。

岩山宮鳥居

岩山宮への石段

 岩山宮の祭神は、吉備国の地主神の建日方別命である。

岩山宮本殿

 古びたいい本殿だ。

 岩山宮は、正宮、本宮、新宮、内宮と並ぶ吉備津五所明神の一柱である。正宮は、吉備津神社本殿のことであろう。

 岩山宮の南には、大神宮、春日宮、八幡宮を祀る三社宮がある。

三社宮

 中央が大神宮、向かって左が春日宮、右が八幡宮である。小さなお社だが、存在感がある。

 三社宮の南には、御供殿がある。大祭用の厨のある建物である。祭事のお供え物はここで作られるのだろう。

御供殿

 その南側には、本宮社がある。境内南端の社である。回廊はここで終わる。

 本宮社には、本宮社、新宮社、内宮社、御崎社二社の五柱の神様が祀られている。

拝殿

本宮社の扁額

本宮社本殿

 本宮社には第7代孝霊天皇、内宮には大吉備津彦の妻となった百田弓矢姫命、新宮には大吉備津彦の子の吉備武彦命を祀る。

 吉備津五所明神の三柱がここに祀られている。重要な社である。

 さて、境内の外を流れる細谷川の向こう側の断崖に祀られているのが滝祭神社である。

滝祭神社

 恐らくは水の神様が祀られているのであろう。

 吉備津神社の中で、本殿及び拝殿、回廊に並んで重要な建物は、御竈殿である。

 今の御竈殿は、慶長十七年(1612年)に、備中早島出身の安原備中守知種の発願で再建された。

御竈殿

 この御竈殿は、釜の鳴動で吉凶を占う鳴釜神事で有名である。

 御竈殿の地下には、大吉備津彦に退治された温羅(うら)の首が埋められていると伝えられている。

 ある時大吉備津彦の夢に討たれた温羅の霊が現れ、「我妻阿曽媛をして、命(大吉備津彦のこと)の御釜の神饌を炊かしめよ。若し世の中に事あらば、釜の前に参り給わば、幸あらば裕らかに鳴り、禍あらば荒らかに鳴ろう。我は命の一の使者として、四民に賞罰を与えよう」と告げたという。

御竈殿前の狛犬

 これが、釜の鳴動の大小長短により吉凶禍福を占う鳴釜神事の起こりである。

 神事の作法は、先ず阿曽女と呼ばれる女性がセイロを載せた釜に水を張り、湯を沸かす。

 次に御祈祷殿で祈願した御神札を竈の前に祀り、阿曽女は竈を挟んで神職と向かい合い、座す。

鳴釜神事の様子

 神職祝詞を奏上する頃、セイロの中で器に入れた玄米を振る。すると唸るような音が鳴り響き、祝詞が終わるころには音も止む。

 この釜から出る音で吉凶を占う。

 この神事の文献上の初見は、大和興福寺の「多門院日記」の永禄十一年(1568年)の記事である。室町時代後期には、既に神事は成り立っていたようだ。

 また、上田秋成の「雨月物語」の「吉備津の釜」にも取り上げられている。

 私が御竈殿を訪れた時も、神事の最中であった。神事の撮影は禁止されている。だが見学は出来るようだ。見学客が御竈殿に上がって見学していた。

 吉備津神社の西側には池があり、池上に吉備国最古の稲荷神を祀る宇賀神社がある。

宇賀神社

宇賀神社本殿

 お稲荷さんも、神託を下すことで有名な神様である。吉備国最古のお稲荷さんとなると、霊験あらたかな気がする。

龍の彫刻

 考えてみれば、吉凶禍福は人の主観によって変わる。吉凶禍福は、実は人の心が作り出しているのである。

 ところが、吉凶禍福は自分とかかわりのないところで生み出されていると思いたがる人もいる。自分の力ではどうしようもないことで自分の運命が左右されると思いたがる人がいるのだ。

 占いがもてはやされるのはその為である。

 私は、個人的に占いや血液型性格診断や姓名判断は信じないようにしている。自分の運命は、自分で左右したいからである。

 だが、自分の運命を超越的な何かに委ねたいという人の気持ちも分らぬでもない。人は、自分の知らないところで何かが決まっていると思うことで、慰安を覚えるものだからである。