福田海 中編

 福田海の本堂には、前身の青蓮寺の本尊であった十一面観世音像を祀っている。

 先祖供養のためのお堂である。

本堂

本堂内部

 本堂の奥には、複数の仏像と経塔多数が置いてある。

 本堂内には、向かって左側に勝鬘(しょうまん)夫人像が置かれている。

 この勝鬘夫人像は、慶長八年(1603年)の作で、中山通幽が養子に入った多田家の祖先多田雪津郎の作であるという。

勝鬘夫人像

 勝鬘夫人は、印度コーサラ国王ハシノクとマリー王妃の間に生まれ、有称王に嫁いだ。

 父母の勧めで釈尊に謁した夫人は、仏の威信を受けてその教えに帰依し、自らの誓願と説法を行ったという。大乗の教えを極めたその説法に、釈尊は感心したという。

 その説法の内容を書いたのが、「勝鬘経」である。

 古くから「維摩経」と並んで、在家信者が大乗仏教の教えを説いた経典として重視された。

 聖徳太子推古天皇に「法華経」「勝鬘経」「維摩経」を講説した。

 勝鬘夫人像は、日本では稀有なものであるらしい。

 本堂の北側には英霊堂がある。

英霊堂

英霊堂内部

 英霊堂内部には、三千体の観音像が祀られ、経典が納められている。

 戦没者を供養するお堂であろうか。

 英霊堂から東に進むと、鼻ぐり塚がある。かつては千年塚と呼ばれた円墳であった。

鼻ぐり塚

 鼻ぐり塚は、元々古墳だったものが、家畜を供養するための塚になったものである。

 かつて日本の農村では、牛が田畑の耕作の労役等に使われていた。飼い主は、牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻ぐり)をはめて、それに縄を結んで使役していた。

 やがて牛は飼い手を離れて売りに出され、解体されて肉と皮になり、命の全てを人に使われて終わった。

鼻ぐり塚前の牛の銅像

 福田海を開いた中山通幽は、この牛の大恩に報いるため、牛の死後に残された鼻輪を牛の形見として集めて供養することを発願した。

 全国の篤信者から送られた鼻輪が、鼻ぐり塚の墳丘上に積まれていき、その前で護摩供養がなされるようになった。

鼻ぐり塚

鼻ぐり塚に積まれた鼻輪

 昭和初年の福田海開創以来、鼻ぐり塚に納められた鼻輪の数は700万を超える。

 今でも毎年数万個の鼻輪が納められているという。

 この無数の鼻輪が積まれた鼻ぐり塚は、日本の珍名所を紹介する書籍にも出てきたりする。

 だが、人間に一生使役されて生命を終えた畜類を供養するこの塚は、珍名所どころか実に厳粛な場所であると思われる。

鼻ぐり塚

鼻ぐり塚頂上の石塔

 鼻ぐり塚の正面には、馬頭観世音菩薩が祀られている。

 その奥の横穴式石室内には、真鍮製の鼻輪を溶かして作った阿弥陀の宝号を刻印した金属板が安置されているという。

馬頭観世音像と横穴式石室

 横穴式石室があるということは、古墳時代後期の古墳だろう。

 鼻ぐり塚では、現在も畜類供養のため毎春に畜魂祭が行われている。

鼻ぐり塚前の豚の銅像

 私も日々牛や豚の肉を食べたり、牛革の製品を使ったり、牛乳を飲んだり乳製品を食べたりしている。

 当たり前すぎて、元々生命があったものを頂いていると考えずに過ごすことが多い。

 考えてみれば、生まれた時から人間に殺されて食べられることが決まっている家畜類は、気の毒な存在である。

鼻ぐり塚前の大師堂

 だが人間の生命と健康の維持のためには、畜類の命は必要なものであろう。 

 私たちにせいぜいできることは、畜類の命を頂くことの有難みを嚙み締めることであろう。