養父神社 前編

 満福寺の参拝を終え、かつて宿場町であった養父市養父市場に向かう。

 ここにある養父神社は、但馬では、粟鹿神社、出石神社と並ぶ古社である。

 但馬三宮とも呼ばれている。

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鳥居

 創建は第10代崇神天皇の御代とされる。ほとんど伝説の領域である。

 平安時代に成立した「延喜式」では、名神大社に列せられている。

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随身

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 祭神は、倉稲魂(うかのみたま)命、少彦名命大己貴命、但馬道主命、船帆足尼(ふなほそこね)命の五柱である。

 倉稲魂命は、いわゆる稲荷神のことであるが、この神社にはお稲荷さんのような朱の鳥居や狐の像があるわけではない。

 養父神社に祀られる倉稲魂命は、穀物、養蚕、牛馬の神様であるそうだ。但馬の重要な産業の守り神というわけだ。

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拝殿

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 拝殿の前には、一風変わった狛犬が置かれている。瓦石で作られた狼の狛犬である。

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狛狼

 この狛狼は、明治21年に制作されたものである。

 なぜここに狼が置かれているのかは分からない。

 神社の説明板には、養父神社の社殿と、本殿の奥にある山野口神社の社殿は、元禄九年(1696年)の建立と書いている。

 実際のところは、江戸時代後期の建築になるそうだ。

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拝殿に掛かる扁額

 養父神社の背後には、弥高(いやたか)山という山があるが、かつては弥高山そのものを御神体として祀っていたらしい。

 養父神社は、弥高山の入口に設けられた神社だったのだろう。

 本殿は、檜皮葺、権現造の古びた社である。

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本殿

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棟の上の鬼飾り

 本殿正面千鳥破風の上には、鬼飾りが備え付けられている。養父大明神の威徳を現わすかのようだ。

 本殿は、なかなか複雑な屋根の形状をしている。

 背後から見ると、四面の斗供から飛び出た尾垂木が目立つ。

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本殿の背後

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斗供の尾垂木

 複雑な斗供の組物が見事だ。この建物は、近年、兵庫県登録有形文化財になったそうだ。

 境内には、多くの末社がある。

 五社神社は、但馬五社に祀られる五つの祭神を祀る社とされている。

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五社神社

 但馬五社は、絹巻神社、出石神社、小田井縣神社、養父神社、粟鹿神社である。

 養父神社境内の五社神社に祀られる祭神は、天熊人命天照大神素戔嗚尊月読命五十猛命だが、但馬五社の主祭神とは異なる。何故なのだろう。

 斎神社の紹介記事で書いたが、但馬五社の神様は、円山川下流の開拓を話し合い、その結果、養父大明神が代表として斎大明神に開拓工事をお願いすることになった。

 この五社神社は、養父神社で但馬五社の神様が話し合ったことを現わしているのではないか。

 伝説では、円山川下流の開拓工事をした斎大明神に、養父大明神が御礼参りをしたとされているが、後にその故事が祭礼となった。それが今も行われるお走り祭りである。

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神輿を納める倉

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神輿

 お走り祭りでは、養父神社から出発した神輿が、片道約20キロメートルの斎神社まで渡っていく。

 本殿の側の倉に、明治初年から平成まで百数十年の間お走り祭りに使われた神輿が保存されていた。

 神輿を担ぐときの気持ちは、晴れ晴れしいものだろう。

 また、末社御霊神社の社殿は、応安年間(1368~1375年)に建てられたもので、養父神社の旧本殿であるらしい。

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御霊神社

 御霊神社の祭神は、国生みの神、伊弉諾尊伊弉冉尊である。

 この社殿が本当に応安年間の建立であれば、但馬有数の古い建造物である。

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御霊神社唐破風の下の彫刻

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蟇股の彫刻と亀甲紋

 私には御霊神社の建設年代は分らないが、彫刻や意匠は、どことなく南北朝時代のもののように見える。

 養父神社は、地理的に但馬国の丁度中心にある。但馬の開拓があまり進んでいなかった頃には、養父神社の周辺が但馬の文化の中心として機能していたのかも知れない。