男山 女山 赤峪古墳

 大野の整合のすぐ北側に、女山(めんやま)という標高約205メートルの低山があり、その更に北側に男山(おんやま)という標高約260メートルの低山がある。

 この2つの山は、鏡野町のシンボル的存在である。山体は、太古の火山活動で噴出した溶岩が固まって形成された玄武岩で出来ている。

女山

男山

 大野の整合のすぐ北側に、女山の下を潜る国道179号線のトンネルがある。

 そのトンネルを北に抜けると十字路があり、十字路を右(東)に行くと、道路の南側に女山への登山口がある。

女山(トンネルの北側)

女山への登山口

 私は登山口から女山に登り始めた。男山と女山には、四国八十八ヶ所霊場を模した男女山八十八ヶ所霊場があり、八十八ヶ所に石仏が置かれている。

女山の斜面

 女山の東側斜面に玄武岩の柱状節理があるというので、そこを目指した。玄武岩と書かれた案内板を目安に歩いて行く。

 すると、女山の頂上に至った。頂上には観音菩薩の石像が建っている。

観音菩薩

 ここから南東方向に広がる鏡野町の盆地を見下ろせる。

女山頂上からの眺望

 この観音菩薩のある場所から女山の東側斜面に向けて、下りの階段がついている。

 階段を下っていくと、途中から階段の先が藪で覆われて階段が見えなくなった。下がっていく階段の先を見ると、どうやら途中で階段がなくなって断崖になっているようである。だが一面藪に覆われているので、どこで階段が途切れているのか分からない。

 一歩一歩藪の下に地面があることを確かめながら階段を下りて行った。

 これ以上先には階段はないだろうという場所まで来ると、右手に玄武岩の柱状節理が見えた。

柱状節理

 溶岩が冷えると、溶岩の表面に等間隔に核が出来て、核を中心に固化していく。固化していく過程で溶岩の体積は減っていき、溶岩に割れ目が入っていく。核を中心とした六角形のような割れ目が出来て、それが岩石の中まで続いていき、岩石柱の集合である柱状節理が形成される。

 女山の柱状節理を見学する人は、あまりいないのだろう。藪に覆われた階段は、長い間放置されているように見える。階段がどこで途切れるか藪で見えなくなっているので、見学する方は、かなり注意して行かないと危険である。

 史跡巡りを始めると、史跡の中で風化せずに残るのは石であることに気づく。寺院は焼けても、寺院の石段や石の基礎は昔のまま残っていたりする。その内、石の見せる表情に惹かれるようになった。

 だが、人間が作った建物の跡に残る石よりも、人類誕生以前の地球の活動によって形成された岩石の方が、遥かに古く、長い時間を経過してきていることを改めて認識するようになった。そうなると、山に残る岩石に興味が湧くようになった。

 このまま史跡巡りを続ける内に、史跡よりも山そのものに興味の対象が移行しそうである。

 さて、女山を下りて、次なる目的地である鏡野町土居にある赤峪(あかざこ)古墳に向かった。

赤峪古墳への道(舗装路から右に入る)

 赤峪古墳は、鏡野町円宗寺にある大野公民館の北側の山中にある。大野公民館の前の舗装路を北西に進むと、右手に山中に入っていく道が見えてくる。

 その道を入ってしばらく歩くと、左右から迫る斜面に挟まれた場所で道が途絶える。左の斜面を登ると、何故かこんな山中なのに廃屋がある。

 赤峪古墳は、この廃屋の裏にある。

赤峪古墳の説明板と廃屋

 赤峪古墳は、墳長約45メートル、後円部径約28メートルの前方後円墳である。

 昭和35年に発掘され、後円部の埋葬施設から中国製の盤龍鏡や鉄斧、勾玉、土師器の二重口縁壺などが出土した。

赤峪古墳から出土した盤龍鏡(鏡野郷土博物館)

 二重口縁壺の作られた年代から、この古墳は4世紀前半の築造にかかるものだと特定された。

後円部

後円部頂上の祠

 後円部の上に登ると、小さな祠がある。

 古墳は植物で覆われているが、古墳の形は認識することが出来る。

後円部から前方部を望む

前方部から後円部を望む

 この古墳の被葬者は、香々美川、郷川流域を支配下に置いた首長だろうと言われている。

 灌漑技術が発達していない時代は、川の近くに水田が造られ、村が出来た。村の首長はその近くに葬られた。必然的に、川の近くに古墳が集中するようになる。

 古墳の斜面に、葺石かと思われる滑らかな表面の石があった。

葺石のような石

 葺石とは、古墳を覆うように葺いた石のことだが、赤峪古墳を葺石が覆っていたかは分からない。この石が葺石だったかどうかは分からない。

 日本各地の古墳の葺石は、長い年月の中で崩れたり取り払われたりして、原型を留めているものはほとんどない。

 思えば私たちが目にする石は、大半が人間が日本列島に来る前からあったものだ。石に認識能力と記憶力があり、会話が出来るのなら、過去に何があったのかを聞くことが出来るのに、と思うことがある。