大内城跡のある福知山市大内から、国道9号線を東進する。
しばらく進むと、福知山市池田の集落が見えてくる。池田の集落の中央の旧京街道沿いに生えているのが、福知山市指定天然記念物のかごの木・むくの木である。
かごの木、むくの木は、両方樹齢数百年になる巨木である。古くから地域のシンボルとして大切にされてきた。
特にかごの木は、近隣にはない珍しい木である。樹皮の表面のまだら模様や、枯れた幹の炎のような形が、ゴッホの絵のようで面白い。
このように種類の異なる巨木が並び立っているのは珍しい。
ちなみにむくの木の裏側には、北向きに地蔵尊が祀られている。北側を通る旧京街道を見守るかのようだ。
この地蔵尊が祀られたのは、宝永三年(1706年)で、5代将軍徳川綱吉、大老柳沢吉保(よしやす)の時代である。
古くから旅人を見守ってきた霊験あらたかな地蔵尊として、朝夕お祈りする地元の人が絶えないという。
この地蔵尊も、かごの木・むくの木も、300年以上道行く人や車を見守ってきたわけだ。思わず手を合わせた。
さて、池田の集落の南側を流れる土師川に架かる橋を渡り、福知山市坂室の集落に行く。
この集落は僅か数戸しかないが、集落から奥の山間に向かって舗装路が延びている。この道を進むと、山に挟まれた田畑がある。さらに奥に進むと、右手に石垣のようなものが見える。
旧坂室山医王寺の石垣である。
車を降りて、石垣の方に近寄ると、参道があり、その先に山門が見えてくる。
医王寺は、今は無住の寺である。和銅年間(708~715年)に天戒恭道禅師が開山したと伝えられている。
平安時代末には七堂伽藍を有する大寺だったようだが、天正七年(1579年)の兵火で焼けてしまい、その後仁王門と薬師堂のみが再建されたという。
現在では住職がいないため、寺ではなくお堂と言っていいだろう。
仁王門には、阿形像、吽形像の二体の金剛力士像が安置されている。鎌倉時代から南北朝時代にかけての作と言われている。
この二体の金剛力士像は、昭和58年に修復された。なかなか力強い造形の秀作である。福知山市指定文化財である。
仁王門を過ぎると、薬師瑠璃光如来像を祀る薬師堂がある。参道脇には、石造五輪塔や石仏が並んでいる。
旧医王寺の建物と仏像は、今は集落の人々が管理し、大事に祀っているのだろう。
このような立派な金剛力士像が、無人の寺院跡にあるというのが、いかにもありがたいと感じる。
説明板によると、金剛力士像は、昭和58年の修復の時点で、あと300年はもつだろうと言われていたようだ。
昭和58年から300年後と言えば、西暦2283年だが、そのころ旧医王寺の建物と金剛力士像がどうなっているのか、世界と日本がどうなっているのか、思いを馳せてみた。