桝形山から下山して、酷暑の中車に乗って北上し、岡山県苫田郡鏡野町寺和田にある真言宗の寺院、宝寿山円通寺を訪れた。
この寺は、弘仁七年(816年)に弘法大師空海が開創したと伝えられている。
美作の密教寺院としては最古の寺院で、「作州の高野」と呼ばれ、また神仏習合の時代には、美作国二ノ宮の高野神社の奥の院と言われた。
戦国時代には、桝形城の外衛とされていたが、天正七年(1579年)の桝形城の合戦で、円通寺も戦火により全焼した。
今の伽藍は、その後に再建されたものである。
山門の仁王像は、豪華に彩色されているが、案外古い像で、残された墨書銘文によると、寛文三年(1663年)に作成されたものらしい。
近年に修復されたものだろうが、なかなか綺麗に残っている。
山門を潜ると、正面に閻魔大王の石像があり、少しどきっとする。
閻魔大王の左手の橋を渡って、本堂に近づいた。
本堂に行きつく手前に、鏡野町郷土館がある。
円通寺は、永禄十二年(1569年)の銘のある金銅板貼山伏笈を所蔵している。山伏が背負った笈で、金銅板が貼られたものである。垂迹美術の貴重な作例として、今は岡山県立博物館に寄託されている。岡山県指定文化財である。
鏡野町郷土館では、寺宝の経瓦や不動明王画像などを展示しているという。予約をしなければ見学できない。私は拝観出来なかった。
鏡野町郷土館の前を過ぎると中門がある。中門を潜ると、「円通寺の寿の松」と呼ばれる立派な赤松がある。
樹齢は約280年だそうだ。見事な枝ぶりの松である。
寿の松の向こうには、本堂がある。江戸時代に再建された本堂である。
本尊は、弘法大師が手ずから彫ったとされる千手千眼観世音菩薩像である。
内陣奥の厨子が開いていて、本尊がお姿を見せている。神々しいお姿だ。恭しく手を合わせた。
本堂の西隣の降魔殿には、不動明王立像が祀ってある。
ここで住職が護摩行をするのだろう。
本堂の東側には、客殿がある。
それにしても暑い。境内には私一人である。酷暑のなか、ただただ静かな時が流れている。
境内には弁才天が祀られている。
弁才天社の周囲の池は、蓮の葉で埋まっている。その中から、鮮やかな桃色の蓮の花が顔を覗かせている。
夏に咲く花で、観ていてもっとも心洗われる思いがするのは蓮の花である。
酷暑の中、桝形山を歩いて疲れたが、この蓮の花を見て生き返ったような気がした。