天児屋鉄山跡

 西播磨地区の最も奥地となる兵庫県宍粟市千種(ちぐさ)町は、古代から製鉄が盛んな場所であった。

 良質な鉄が産出され、いわゆる「たたら製鉄」が、古代から明治時代まで連綿と続けられてきた。

 たたら製鉄と言えば、一般的に出雲が有名であるが、宍粟郡には、製鉄の神様である金屋子神(かなやこのかみ)が降臨したという伝説がある。

 金屋子神を祭る島根県安来市金屋子神社の祝詞には、金屋子神播磨国宍粟郡に降臨し、住民のために製鉄をして鍋を作った後、出雲の地に向かったという内容の記載がある。

 この伝説によれば、たたら製鉄の発祥は、宍粟郡にあるようだ。

 日本で全国的に鉄器が使われ出したのは、古墳時代のことであり、当初は専ら朝鮮半島からの輸入品が使われていた。

 日本に製鉄法が伝わって、国産の鉄が作られるようになったのは、考古学的に6世紀半ばと言われている。神話になるほど縹渺とした太古というわけではない。恐らく、製鉄技術を持った渡来人が、日本国内の良質な鉄の産地を探し、宍粟郡にそれを見出して、製鉄を始めたのが金屋子神説話の始まりだろう。

 さて、古代から製鉄が盛んだった宍粟市千種町西河内には、兵庫県指定史跡の天児屋(てんごや)鉄山跡という遺跡がある。

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天児屋鉄山跡

 遺跡は、江戸時代から明治時代にかけて存在した製鉄作業場の跡である。今は石垣が組まれた段々畑のような外観しか残っていないが、かつてはこの上に建物が立ち、製鉄に携わる人達が作業をしていた。

 山城のように石垣が段々に組まれた土地の上に、木肌が白い木々が立ち並び、これはこれで面白い景観である。

 遺跡の前に、たたらの里学習館という資料館がある。

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たたらの里学習館

 資料館は大人1人200円で入場できる。平日のことで、来館者は私しかおらず、館の方も突然の来館者に驚いていた。

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天児屋の製鉄集落のジオラマ

 展示室に入ってすぐの場所に過去の天児屋鉄山の模型があり、遺跡の過去の姿が掴めた。各建物は、製鉄に携わる人達の住居であったり、製鉄の作業場であったりした。

 ところで、たたら製鉄の「たたら」とは何かというと、製鉄時に使う鞴(ふいご)のことである。鞴は、作業員が足で踏んで動かす木製の送風機のことである。

 たたら製鉄の方法は、まず山から砂鉄を取り出し、粘土で作った炉に砂鉄と木炭をくべて燃やす。この時に火力を上げるために、鞴を使って炉に送風するのである。

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炉と地下構造

 上の写真の地上中央が炉で、その左右にあるのが鞴である。

 たたら製鉄は、湿気を極端に嫌う。炉に湿気が入ると、温度が上がらず、鉄の溶融が進まない。下手をすると蒸気爆発を起こすことになる。

 そのため、地下構造の最下部に排水路を設けて水を逃がし、その上には砂利や粘土を敷いて湿気を遮断する。鞴の下にあるトンネルのような穴を小舟というが、小舟は湿気を逃がす穴である。炉の下には、湿気を吸収する木炭や灰を敷き詰めている。こうした万全の防湿設備を設けた上で、炉で空焚きをして、底部を入念に乾燥させて固めるのである。

 炉で燃えた砂鉄は、溶けて木炭を含みながら融合し、鉄の塊となる。これを鉧(けら)という。

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 鉧は、金の母と書くが、面白い字である。鉧は生産される鉄の元である。次に炉外に出した鉧の上に、人力で縄に吊るした巨大な石を落とし、鉧を拳大に叩き割る。こうして出来た鉄が、純度によって。釼(はがね)、歩鉧(ぶげら)、銑(ずく)に分けられる。

 最高度の釼(はがね)は、後世玉鋼(たまはがね)と呼ばれ、日本刀の原料として使われた。

 鉧から直接鋼を作る千種鉄の製法を、鉧押しという。これは、砂鉄の品質がいい千種鉄だから出来た方法である。鉧押しが本格的に始められたのは、16世紀前半の天文年間だという。

 千種産の玉鋼は、備前長船に運ばれ、かの地で日本刀の原料として使われた。

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地元中学生が造った鉧からできた日本刀

 宍粟市では、平成10年に地元の中学生達が、たたらの里学習館で、実際にたたら製鉄を体験した。館には、地元中学生が造った鉧から刀匠が制作した太刀と短刀が展示してあった。

 それにしても、花崗岩に含まれる砂鉄から、このように見事な刀剣の元となる釼が出来上がるまで、息が詰まるような緊張と苦労の連続だったろう。昔の人たちが、日々金屋子神に祈りながら製鉄作業をしたのも分かる気がする。

 外に出ると、天児屋鉄山跡の遺跡が、違った光景に見えた。

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 石垣の上の木々が、神々しく感じられた。

 さて、天児屋鉄山跡から車でしばらく東に行くと、廃校となった千種北小学校がある。

 ここは、番地でいうと高保木たたら製鉄遺跡があった場所である。

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千種北小学校跡

 遺跡があったことを示す標示は何もなく、雑草が生えたグラウンドが広がるばかりである。廃校を見ると、寂しい気持ちになる。

 たたら製鉄は、明治時代になってから、西洋の製鉄法に押されて衰退した。今の時代に千種町で鉄が生産されることはない。
 しかし、千種鉄から作られた日本刀は、今も日本中に存在している。中には名刀とされているものもあるだろう。

 千種鉄の歴史は、それら刀剣類の刃の輝きの中に生き続けている。