平福

 兵庫県佐用郡佐用平福は、江戸時代に、因幡街道沿いの宿場町として開けた。

 慶長五年(1600年)に、平福を見下ろす利神(りかん)城城主となった池田由之が、宿場町平福を整備した。江戸時代には、因幡街道随一の繁栄を誇ったという。

 今でも、平福千種川沿いには、石組の上に黄色い土壁の建物が並び、古い宿場町の面影を残している。

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平福の町並み

 建物から河畔に出る扉があり、今にも人が川に洗濯に出てきそうだ。この一角だけ、昔のまま時間が止まっているようだ。

 平福には、古い町並みだけでなく、陣屋跡や、古寺などもあり、見所は沢山ある。私が行ったのは、日曜日だったが、平福の道の駅は、観光客やツーリング客で一杯だった。

 まずは佐用町立平福郷土館に行った。

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佐用町立平福郷土館

 平福郷土館は、昭和51年に、平福出身の中井清蔵が、郷土発展のために多額の寄付をしたことを機縁として建設された。

 1階には、平福の商家の商道具などが展示され、2階には平福の町を見下ろすように聳える利神(りかん)城跡の資料が展示している。

 私が感心したのは、1階に展示してあった、日本の民家の模型である。私は、古代遺跡に復元された竪穴住居を見学して、果たして日本では、いつから庶民は竪穴住居ではなく、壁のある家に住み始めたのだろうという疑問を持っていた。

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奈良時代の民家の模型

 ここで答えが見つかった。どうやら奈良時代には、日本の庶民は、竪穴住居ではなく、掘立て柱と土壁の家に住んでいたようだ。

 こんなことは、日本の住宅史の本にでも当たれば、たちまち答えを得られたのかも知れないが、実際に自分が訪れて見学した場所で答えを見出したかった。史跡巡りを始めて、こんなに早く答えが見つかるとは思わなかった。

 さて、郷土館2階には、平福の東側にある、標高373mの利神(りかん)山上にある利神城跡の資料が並ぶ。

 利神城は、元々は貞和五年(1349年)に、赤松氏一族の別所敦範が建設した。慶長五年(1600年)に、姫路城主池田輝政の甥・池田由之が利神城主となり、城を大改築した。

 山上に三層の天守閣を築き、城下から見上げれば、雲に届くばかりの威容であったため、雲突(くもつき)城とも呼ばれた。

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利神城の想像図

 利神城はその後廃城となった。利神城があまりに壮麗であったため、意図を疑われ廃城を命じられたとか、幕府の一国一城令により廃城となったとか、諸説がある。

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利神城跡の模型

 廃城となって、今では石垣しか残っていないが、それでも立派な遺構である。

 平福郷土館には、利神城天守にあったものと伝えられる鯱や、利神城で登城の合図に使われた大太鼓などが展示してあった。

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利神城天守の鯱

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つつじの胴の大太鼓

 そんな利神城だが、残念ながら今は登れなくなっている。

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利神山

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利神城跡

 石垣が崩れて、危険なため、佐用町が登山禁止にしているのである。平成29年に利神城が国指定史跡になってから、全面禁止となった。

 平福の私設観光案内所で、利神城跡の写真を見せてもらったが、見れば余計登りたくなった。但馬竹田城に優るとも劣らぬ天空の城の威容であった。

 しかし、私設観光案内所で、過去に登山客が山上で怪我をした際、消防隊が怪我人を徒歩で運べず、救助ヘリを呼んだという話を聞いて、万が一の時に迷惑がかかることを思い、お忍びの登山も諦めた。

 道の駅のビューポイントから、望遠で写真を撮るのが関の山であった。

 利神山の麓にある、大手石垣は近づいて写真に納めることが出来た。

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大手石垣の跡

 ミニ万里の長城のような石垣である。麓の御殿屋敷を囲んでいた石垣だろう。

 余談だが、平福には智頭急行智頭線という第3セクターの鉄道が通っている。兵庫県赤穂郡上郡町から、鳥取県八頭郡智頭町を結ぶ鉄道である。特急スーパーはくとが私の目の前を通過した。

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特急スーパーはくと

 西播磨因幡地方を結ぶ貴重な鉄道だ。

 平福を離れ、佐用町大畠に行くと、江川神社がある。天忍穂耳命を祀る神社らしい。

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江川神社

 江川神社の本殿は、一間社流造の栩板(とちいた)葺きで、文安四年(1447年)の銘板が保存されている佐用郡最古の建物である。兵庫県指定文化財である。

 本殿の周りは、覆い屋で囲まれている。大事にされている神社である。

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江川神社本殿

 佐用郡佐用町は、兵庫県で最も人口減が進む地域である。それでも大事にすべき文化遺産は多い。

 特に利神城は、石垣が比較的残っており、整備したらそれなりの観光資源になりそうである。国指定史跡になったのだから、国の支援を得て修復できないかと思う。いずれ登りたい山城だ。

 平福は、町の風情を失わないまま、現在に至っている。この美しい町が、千種川の畔にこのままの姿で残り続けることを望むばかりである。